【城太郎日記】ユング心理学・カウンセリング



城太郎日記へようこそ♪
このページでは、2013年04月までの更新記録を発信します

更新記録

RSS を試験的に導入したのですが、トップページの更新など、過去記事の修正では RSS リーダーに反映されないようなので、簡易の更新記録ページを書いてみようかと思います。
【2013年04月までの更新】



表紙ページから、移動しました。


今月の表紙…【2013年2月】


ブログの抜き出し記事「生き方のヒント」を久しぶりに更新しました。

2011年から2012年、そして2013年1月までの記事から、ピックアップしています。

 → 「生き方のヒント2011〜2012年」


 → 「体罰問題に関する短い見解」



今月の表紙…【2013年1月】


前回のトップページ更新は昨年の10月でしたから、またまた久しぶりになってしまいました。

年が明け、2013年になりましたね。

本年も、よろしくお願いします。







さて、ブログの方では昨年より、加藤諦三さんの「話が通じない人の心理」という本をテキストに、記事を書いてきました。というのも、社会的な問題であれ、個人的な問題であれ、そこには「話が通じてないこと」や「前提が食い違ってること」、「正しい認識が共有されてないこと」などがあると思えるからです。

認識にズレが生じていて、それが問題や生きにくさを生んでいるような面がある。

このシリーズで注目したのは、「相手の気持ちを理解できない」という傾向。そこには、「他人という現実(リアル)がない」というキーワードが出てきました。相手は確かに見えている。言葉も一応は耳に入っている。でも、実は、見ているようで見てはおらず、聞いているようで聞いていない。

相手に関心がないため、そういうのが困難になっています。

ただ、それを責められるかというと、そうは思いません。「相手に関心が持てない」という根底には「もっと自分を認めてほしい」という気持ちがあったりするからです。あるいは、しっかり関心を持たれた経験が薄いので、それを学べていない。

そこには、飢えのようなものがあるような気がします。あまりに欠けているので欲しがるのですが、実は相手を間違っており、なので、ズレやすれ違いが生じてしまいます。

「話が通じてない」という問題、「他人というリアルがない」という問題、これらは「人とうまく付き合えない」とか「人と親しくなれない」という問題にも つながってくるという。そしてこれらには、ライフサイクルなどの心理的な要素も、絡んでいるようです。

こういうことを考えながらシリーズを続けていたわけですが、一度「話が通じない人の心理」は終えて、次に同じく加藤諦三さんの著作である「自分に気づく心理学」について書いていきたいと思っています。

恐らく不定期の更新になると思いますが、ブログの方でよろしくお願いします。

また、それと並行する形で、このメインHPでは、スーザン・フォワードさんの「毒になる親」についても、進めるつもりです。


 → 「話が通じない人の心理」






今月の表紙…【2012年10月】


ちょこちょこ更新はしているのですが、表紙の更新はひさしぶりになってしまいました。

<ライフサイクルその完結>では、「第9の段階」「老年的超越」を更新しています。

一応これで一通り読んだことになり、もう一度読み直し、まとめでも書きたいところなのですが、手が回らない状態です。

だいぶ後になりそう。



今進めているのが、<毒になる親>というシリーズです。

これは文字通り、子どもに悪い影響を与える親のこと。でも、別に親を責めようというのではなく、どちらかといえば「自分を責めないでほしい」ということです。

子の心理として「親を責めたくない」とか「親は間違っていない」というのがあって、その裏返しとして、自分を責めたり、自分が悪いのだと思いがちなところがあるのです。

その積み重ねが大人になって、人とうまく付き合えないとか、訳もなくイライラするとか、理由のない不安として現れることも。

それがどういう仕組みで、そうなるのか? そしてやがて来る第二部では、どう対処したらいいのか? という風に記事を進めたいと思っています。

記事の更新については不定期になりますが、よろしくお願いします。


  <毒になる親>

 → 第1回「毒になる親とは?/神としての親」
 → 第2回「親の義務/共依存の親子」
 → 第3回「コントロールする親とその方法」
 → 第4回「親の問題に苦しむ子どもたち/もう一方の親の役割」
 → 第5回「言葉で傷つける親/子どもと対抗する親」
 → 第6回「完璧主義の親/呪縛となる言葉/内面化」
 → 第7回「暴力を振るう親」

 → 第8回「無言のルール/親子の境界線」(追加)
 → 第9回「毒になる親を許す必要はない」(追加)
 → 第10回「考えと感情と行動のチェックリスト」(追加)






今月の表紙…【2012年07月】


前回(5月)より、いくつか更新しました。


「ライフサイクル、その完結」では、「転移の意義」について記事を書きました。

同じ転移でも、児童、青年、成人で、それぞれ特徴があるようです。特定の存在に対して抱いていた感情を治療者に向ける、転移。それはやっかいなものでもありますが、同時に、「気づき」や「やり直し」の可能性も秘められている。

 → 「転移の意義」


「いやな気分よ、さようなら」では、「しかしの克服、自分を認める方法」という記事を。

あきらめるのが癖になると、何かしようとする際、「しかし――」とそれを打ち消してしまう。今回は、その「しかし」に自分で反論することで、一歩を踏み出せるように修正する。また、自分を卑下する癖にも反論を試み、自身を尊重することを覚えていきます。

 → しかしの克服、自分を認める方法


新しいシリーズも、はじめようかと思っています。

スーザン・フォワード著「毒になる親」。

なかなか気づきにくい親子の関係。そこにある支配や呪縛。本来は背負わなくていい罪悪感。それを見ていくことで、自分を赦し、重荷をおろすといった内容。

第1回は「毒になる親とは?/神としての親」。

始ったばかりですが、よろしくお願いします。






【2012年05月】


相変わらず、更新が滞っています。


ブログの方では、ドロシー・ロー・ノルトとレイチャル・ハリスの「子どもが育つ魔法の言葉」について記事を書いていました。

  → 「子どもが育つ魔法の言葉」


そこで感じたのは、「場合分け」の大切さ。場合場合で、いろんなものの意味が違ってきます。なのに場合を無視して決めつけてしまうと、人間を傷つけることだってある。

すべてを家庭や親のせいにすることはありませんが、それにしたって身近な存在なのは確か。なので何らかの影響は受けます。ここでも、場合分けが。すべての原因がそこにあるわけではない、でも、何の影響もないわけじゃない。その両方がいえるのです。

「自分が悪いのか?」そう思うと、親は硬直してしまうでしょう。また、「親が悪いのか?」と思うと、子どもだって複雑な感情が生じる。こうなると、共に身動きが取れません。なので、善悪に分ける仕事は置いといて、「何ができるか?」と考えた方がよさそう。

「悪い」ということが人間を覆い、人格否定につながることがあります。そうすると動けなくなるし、やられた方はたまらない。だいたい、人間のすべてが悪いってことは、ありません。

マズイのは、部分部分。態度であったり、行動であったり、言動であったり。人間全体ではありませんね。人間のしでかす、部分部分。なのでそこを修正すればいいのです。だから、誰それが悪いという風に使うのではなく、修正する指標として使えばいい。「ここは、こうした方がいいのかな?」と。

罪悪感が強くなりすぎると身動きが取れなくなり、結果、何も変わらないわけだし。


日本を覆っている問題は、見る目が無い、聞いてもらえない、誤解を元に断罪されるなど。その根底にあるのは、「よく見ない」だと思われます。よく見ればやがて見えるのに、よく聞けばやがて分かるのに、それをしない。なかなか待てません。

なので誰もが、加害者となり得るし被害者となり得ます。そして、子育てにも、その影響が出てくる。



子育てといえば、サクラブログでもう1つブログを開設しました。

その名も、「河合隼雄文庫」。

  → 「河合隼雄文庫」


河合隼雄さんの本を読んで、目次と概略を記すのを目的としています。調べものをする時に分かりやすいようにと、思い立ちました。

開設したばかりでまだ記事は少ないのですが、まず始めたのは「Q&A こころの子育て 誕生から思春期までの48章」という本。

ここでも、待つ大切さや、あせらずに見守ることの重要性が出てきます。待っていれば、いろんな面白いことが見えてくると。

逆に頭でっかちになって決めつけると、思い描いているのと違うと腹が立ったり、ガッカリしてしまう。さらに面白いところが出る前に、見なくなったりすることも。

個人と社会、子育ての姿勢と社会問題、いろんなところが交差しています。






【2011年10月】


お久しぶりです。更新が滞っている状態です。

そんな中、久しぶりに読み物の記事を更新してみました。題は、「自然治癒力と虐待について」。

人は体にも心にも、自然治癒力を有しています。なので、体であれ、心であれ、小さな傷なら、放っておいても治ります。でも、傷自体が大きかったり、あるいは、たとえ小さな傷でも、何度も何度も傷つけられていると、治りません。傷が修復される暇がないのです。

なかなか逃げ出しにくい状況で、長期間にわたり、何らかの苦痛を強いられる。それはある意味、虐待なのかもしれない。そして、そんな境遇にあると、傷は治る暇がなくなります。

そんなことについて、書きました。

 → 自然治癒力と虐待


「被害者にも加害者にもならないように」、そんな願いとも関係しているのかもしれません。






【2011年05月】


更新が滞ってしまい、申し訳ありません。まだもう少し、定期的な更新は先になりそうです。

デビッド・D・バーンズ「いやな気分よ、さようなら」をテキストにした、憂うつな気分を消す方法とか、自らそんな気分に持って行ってしまう癖を修正するための記事。また、E.H.エリクソン「ライフサイクル、その完結」をテキストにした記事は、もうちょっと後で。

その前にといっては何ですが、「嫌な気分は、メモして直そう」という記事を書いたので、よかったら読んでみてください。気分自体は変わらないので、それだったら、メモを使って態度を変えて、結果として気分を変えたらどうかという提案です。

本当なら、こういう部分を変えたらいいというのを募集してもいいのかと思ったりもしましたが(経験談とか、これからの目標とか)、公のもとでは負担になることもあるので、こっそりとそれぞれが自分で修正するのも手かな? と思ったりもします。どうなんでしょうね。



「認知の歪み 目次」

考え方を変えれば気分は変わる
トリプルカラム法
役割、完璧主義、相手のために、書く意味
動くことで気分を変える、虚無主義・ぐずぐず主義
日常活動スケジュール、ぐずぐず主義克服シート、満足-予想表


「ライフサイクル、その完結」より。

第1回:「人間的強さと老年期」
第2回:「成人期と前成人期」
第3回:「青年期と学童期」
第4回:「学齢前期」
第5回:「自我防衛、私と我々、三種の現実」
第6回:「超自我と伝承される問題」
第7回:「精神分析の方法と転移」










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