【城太郎日記】ユング心理学・カウンセリング

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このページでは、「ユングや河合隼雄さん他の名言」についての紹介をしています。

「人は自分の神話を持たなければならない」

ユング関連  河合隼雄氏関連  番外編


【ユング関連】



『地下茎』/「ユング自伝」より
「――地上に延びる部分は一夏しか延びない。秋になれば萎えてしまう。束の間の出現に過ぎないのだ。
それでも永遠の推移の底には何かがずっと生きつづけているという感覚を、私は一度でも失ったことはない。
私たちが目にするのは花である。花は枯れてしまう。だが、地下茎は残る」


『神について…@』/「ヨブへの答え」より
「――神は、この世のあらゆる悪の責任を人間になすりつけ、自分に対しては一切の罪を免除した。
全能神におけるこの自己認識の欠如を埋めるものは、人間の意識において他ならない。
だからこそ、神は人間の姿となって地上に現れねばならなかったのだ」


『神について…A』/「ユング自伝」より
「――それが神への奉仕、すなわち人間が神に対してなしうる奉仕の意味である。
暗闇から光があらわれるかもしれず、造物主はその被造物を意識し、人間は自分自身を意識できるかもしれない」


『男性性と女性性…』/「ユング」(アンソニー・スティーヴンズ著 鈴木晶訳)より
「男性性と女性性は元型の二大原理であり、均衡のとれた宇宙体系の平等で相互補完的な部分として共存しており、道教哲学では陰と陽の相互作用として表現される。
これらの元型的原理が提供する基盤の上で、男性的なステレオタイプと女性的なステレオタイプとが、それぞれの作業に取り組み、性差の意識を生むのである。
性差とは、自然が私たちに授けた性別に対する心的認識であり、社会表現であって、子供の性差意識は生後十八ヶ月というごく早い時期に確立される」


『神について…B』/「図説ユング」(林道義 著)より
「世界を創造するのは神ではなく、この私であり、私の意識化という創造行為によって初めて、
世界は客観的に存在するものとなるのである」


『錬金術師の石(ラピス)…』/「図説ユング」(林道義 著)より
ここに石が立っている、
見栄えのしない石が。
それは値段にすれば安いし、
愚者からは軽蔑されるが、
その分だけ賢者からは愛される。

時間は子供だ
子供のように遊ぶ
盤上遊戯で遊ぶ
子供の王国。
これはテレスポロス、    (注:「テレスポロス」は医師アスクレピオスに従う童児神)
宇宙の暗やみをさまよい、
星のように深淵から輝く、
彼は太陽の門に至る道を、
夢の国に至る道を、
指し示す。


『宗教性…』/
「宗教性とは『ルドルフ・オットーがヌミノーゼと呼んだものを慎重かつ良心的に観察すること』である」

(ヌミノーゼ:「聖なるもの」と一般に考えられるものから道徳的要素と合理的要素とを差し引いたもの)


『鳥と卵…』/ヘルマン・ヘッセ『デミアン』より(「図説ユング」(林道義 著)より)
「鳥は卵の中からぬけ出ようと戦う。卵は世界だ。
生まれでようと欲するものは、一つの世界を破壊しなければならない。
鳥は神にむかって飛ぶ。神の名はアプクラスという」

(アプクラス:ユングの『死者への七つの説法』に出てくる神の名)


『夢に対するある種の反応』/「人間と象徴」より
「夢を見た人たちが、夢のメッセージを無視したり、拒否したりさえするのも容易に理解されるところである。意識はもちろん、どんなことであれ、無意識な、あるいは未知のことには抵抗する。未開人のあいだに存在し、人類学者が“保守主義”と呼んでいるもの、すなわち、新しいものに関する深い迷信的な恐怖については、既に指摘したところである。未開人は都合の悪い事柄に対しては、野生の動物のようなあらゆる反応を示す。しかし、“文明”人も新しい観念に関しては、ほとんど同じような方法で反応し、何か新しいものに直面するショックから自分を守ろうとして心理的な防壁を立てようとする。これは、どんな人であれ、夢が何か驚くべき事を認めさせようとした場合、それに対して示す反応の中に、容易に観察する事が出来る。哲学、科学、また文学の世界においてさえ、先駆者たちは、その同時代の生来の保守主義の犠牲となってきた。心理学は科学のうちで最も若いものである。それは無意識が持つ働きを扱おうと試みるのであるから、極端なまでの保守主義に直面せざるを得なかったのである」





図説 ユング―自己実現と救いの心理学




神についての言葉





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【河合隼雄氏関連】

河合隼雄氏関連



『善…』/「生と死の接点」より
「他社に善を行おうとする者は、微に入り細にわたって行わねばならない。
一般的な善などは偽善や悪党の弁解である」


『魂…』/「生と死の接点」より、白州正子さんが青山次郎さんについて述べた言葉…
「人間でも陶器でも、たしかに魂は見えないところにかくれているが、もし本当に存在するならば、
それは外側の形の上に現れずにはおかないのだ」


『人と人との関係…』/「生と死の接点」より
「現代は孤独に悩む人が多いが、そのひとつの原因として、自分の思うままに他人を動かそうという考えに知らぬ間にのめり込んで、結局のところ人と人との『関係』を失ってしまっていることが考えられる」


『教育…その一』/「生と死の接点」より
「教師とは一人の生徒に対して、いかに『厳しく優しく』接しられるか、規則を守りつつ自由を確保するように接しられるか、を考えるべきである」


『教育…その二』/「生と死の接点」より
「教師と生徒は対等な仲間ではない。
教師は担当している教科について、その知識も効果的に教える点においても生徒をはるかに上まわっている必要があるし、人生における常識も生徒より豊かにもってなくてはならない。
ただ、両者が対等と感じたり、時には生徒の方が上と感じたりする『とき』が出現してくること、そしてそれを教師の方も自覚的に生きること、が生じてくることに教育の意義が存在している。このあたりのことを自覚していないと、教師が常に生徒の上にいようとして失敗したり、常に生徒と同等であると見せかけようとして失敗したりしてしまうのである。
教師と生徒が水平軸上で向かい合うような機会は、そんなに多くあるものではない。
教師の不断の努力の積み重ねのなかで、ふと与えられるものであり、そのようなチャンスを生かせるように、常に心がけていてこそ、それが意味あるものとなるのである」


『自分の物語…』/「心理療法序説」より
「症状とか悩みとかいうものは、いうなれば本人が自分の『物語』のなかにそれらをうまく取り込めないことなのである。
それらをどうするかと苦闘しているうちに、それらの背後に存在しているものの視点から見ることが可能となり、全体としての構図が読みとれるようになる。
そこに満足のゆく物語ができあがってくるのである」


『家族…』/「心理療法序説」より
「心理療法的には一人の人に会っていても、必要に応じて家族に会う必要があるのは当然である。
しかしこの時の会い方はクライエントと共に歩んでいく家族の苦しみに対する理解と支持、あるいは適切な行動への示唆などが中心となってくる。
クライエントと単純に同一化してしまって、育て方の悪い親を非難するような態度になると、心理療法の過程を壊してしまうようなことにもなる」

「子供のことで来談する親の場合、はじめのうちは『子供』ことについて相談するという姿勢でいるが、そのうちに自分自身について考えてゆかねばならぬことを自覚されるときがある。
そのようなとき、クライエント自身が自分の問題として来談したいと明言されることもある。
そうでないときも治療者が発言して姿勢を明確にするのがよい。
もともと親本人のことが大切なときも、『子供』のこととして話すことによって、不必要な防衛が生じなくて、円滑にゆくこともある」


『症状の変化…』/「心理療法序説」より
「神経症の症状をもつということは、ひとつの明確な標識をもっている、ということで、それによって自分の問題の在り方をある程度知ることができる、という利点をもっている」

「症状の記述→心理的な課題に直面してゆく(という段階をとる)。
このときに再び症状の話に戻ることがある。(「これをよくしたい」とか「これさえなければ」とか)
これは心理的な課題に直面するのが苦しいので、症状の話に戻ることによって休息しているのである。
このとき治療者はクライエントの苦しみを自分がわかっていないのだ、と思って、そのことに対して応答してゆくといい場合が多い」

「治療者の武器は共感すること、その苦しみを知っていることである。
クライエントの苦しみに焦点を当てることによって、乗り切られることがある」


『治療中の身体的変化について…』/「心理療法序説」より
「子供の問題で来談した親子を共に面接しているとき、親子関係が改善されてきたと感じられる頃に、子供が身体の病気になるときがある。
これは親が子供の身体に触れる機会を与え――熱をはかったり、身体を拭いてやったり――スキンシップの回復に役立つことがよくある。(時にはそのことを親に告げ、そのつもりでやってもらって成果を得ることがある)」


『関係性について…』/「心理療法入門」より
「上手に他人を操作して自分の思い通りに事を運ぶことは、ある程度可能である。しかし、人間『関係』ということが重要である場合はそうはゆかない。それは近代科学の方法論を考えると明らかである。それは関係を切断した対象についてのみ有効な方法なのである。
このあたりのことが不明確な人々は、『関係喪失』の病に陥ることが多い。子どもを自分の思いどおりの『よい子』にしようと親が努力すると、子どもが病むのは当然である。夫婦関係でもそうである。相手を自分の思うように動かそうとする限り、両者は関係が切断され、戦うか分かれるかのどちらかになってしまう」


『ユング派とは何か?…』/「ユング心理学と仏教」より
「私はユング派であるということは、C・G・ユングがかつて行なったように、自分の無意識から産出されてくる内容を慎重かつ良心的に観察し、それを基にして自分の生き方を決定し、個性化の道を歩もうとする、そして、そのために必要な基本的方法や知識を身につけている者、と考えています」





生と死の接点




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【番外編】

番外編



『エズミに捧ぐ――愛と汚辱のうちに』/サリンジャー著・野崎孝訳 「ナイン・ストーリーズ」より
「エズミ、本当の眠気を覚える人間はだね、いいか、元のような、あらゆる機――あらゆるキーノーウがだ、無傷のままの人間に戻る可能性を必ず持っているからね」

(おせっかいな訳注:キーノーウ=機能)





詩集『海の向こうから』より抜粋…/レイモンド・カーヴァー著・村上春樹訳 「ULTRA MARINE」より


(前書きより)
不思議な力との交わり。
重石がとりのぞかれたような気がした。


<今朝>
毎日ひきずっていた問題
ぼくが行くはずだった方向へ鳥たちが飛んでいくまでは


<絵を描くときに必要なもの>
機関車のように仕事をする才能
鉄の意志


<クモの巣>
もうすぐ、誰にも気づかれずに、
わたしは、ここからいなくなっている。


<バルサの森>
おやじはずっと遠くにいた。
ぼくたちは二人とも遠くにいた。
まだ誰かが泣いている。
そのころからすでにぼくは、ある場所にいながら、
別の場所にもいるということが、
ありうると気づきはじめていた。


<解剖室>
「大丈夫よ。この世が終わればあの世がある」(妻の言葉)
磨ぎすまされ、どんどん尖っていく石…生命とはそんなものか。


<二人が暮らした所>
愛していた、彼は思った。
君をとても愛していた。
愛さなくなるまでは。


<限度>
苦痛を糧として生きている今、

人間は何にでも、
慣らされるものだということがわかってきた。
どんなことにでもなじむのだと。
裏切りというのは、
喪失や飢えの別の名であるということに気づいた。


<ブラジル、バイア州>
もうすぐ、ぼくたちは土の中で朽ち果てる。
これは真実ではなくて、事実だ。


<もや>
光が部屋を二つに裂いた。


<白い野原>
「あなたの任務は何か? その日その日になすべき事である」
ゲーテだか誰だかがそう言った。





ウルトラマリン (村上春樹翻訳ライブラリー)




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