【城太郎日記】ユング心理学・カウンセリング



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ユング心理学とは?


今月の表紙…【2015年04月】


生きていると、どうして苦しいんだろう?

仏教の視点から、読み解いてみる。

キーワードは、「四諦」と「四念処」。





 → 「四諦と四念処、煩悩の処理」 




【2015年01月】

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■ ユング心理学とは?


(注意:あくまで私見です)


カール・グスタフ・ユング(Carl Gustav Jung 1875〜1961)は、スイスの精神科医・心理学者。宗教的であることや哲学的であることが強調されがちですが、「人を救う」という点において、実際的であったと思われる。

彼は晩年まで、ユング心理学の大衆化(一般の人に理解してもらうこと)という仕事に手をつけずにいました。もともと難解であるし、さらに一般に対する説明を(ある意味)放棄していたので、誤解や憶測が生じるのも、無理のないことです。

ユングが専門家ではない一般の人たち向けに書いた本は、晩年に出版された「人間と象徴」であったとされます。また、この本にしても、理解するには、そうとう頭の中で噛み砕かないといけない(と私は思う)。

アンソニー・スティーヴンズはその著書「ユング(講談社選書メチエ)」の中で、ユングについて、こう述べています。「彼の書いたものを読めばその博識ぶりは一目瞭然である。一方、ユングは自分の考えをうまくまとめることがおよそ不得手だったので(以下、略)」。また、ユング自身のこんな言葉も紹介している。「誰も私の本を読まない。自分の言いたいことを人に理解させるのは、私には至難の業だ」

けれど、ユング心理学の一般への紹介は、弟子や後進の者たちによって、なされているようです。日本では、河合隼雄先生が有名ですね。河合先生は、「日本人に分かりやすく」という点にかなり気を遣って、紹介してくれているように思います。


ユング心理学の特徴としては、限定しないというのがあると思います。限定することで可能性を狭めるようなことはせず、むしろ、可能性に対して開けた態度で接している。集合的無意識(普遍的無意識)への取り組みも、そういう姿勢からなのではないでしょうか。

ユングは分けると同時に、それがつながっていることも忘れず、その調整作用のようなことにも注目しています。意識と無意識、ペルソナと影、アニマとアニムス、タイプ論でのそれぞれの要素(内向と外向、思考と感情、感覚と直観、など)。これらは相反する性質を持つと同時に、互いに影響し合っている。その結果、緊張状態や葛藤も生じるのですが、実はそれを経ることで、補償し合うことにも注目しているのです。

あと、人生の危機を必ずしも悪いことだとは捉えてない節がある。それは苦しいものだし、何らかの救済を必要とするものだけれど、それを克服することで得られるものがあることにも、注目しています。(「創造の病」という考えも、そうですね)。

それは平易に言えば人間的な成長(変容による成長)で、ユング心理学でいう「個性化の過程」にあたるのでしょう。




<2つの人格>

人格(パーソナリティー)には、2つあります。1つは、意識されている人格。そして、もう1つは、まだ意識されていない人格。そして、ユングは言っています。「人格発達の真の作業は無意識のレベルで進行している」と。


生活の中で生じる、数々のトラブル。それを解消するのが「修正力」だと、最近、思いはじめています。これは簡単に言えば、「あっ、間違っていた!」と思ったことを修正すること。そう書くと当たり前なのですが、これができないから悩みが深くなる。

また、ここでも、2つの問題が生じます。


(1) 人は自分の態度や行動について、意外と気づけない。
(2) 修正すべきは、自分の態度だけだとは限らない。



(1)についてはいろんなところで書いてきましたが、人間というのは自分を客観視するのが苦手です。というか、人の作りがそういう風になっている。目が顔のこの位置についているから、人は自分の行動や態度、その全体像を捉えられません(鏡や映像装置を使えば別ですが)。そしてこれが、心理的にも言えるようです。

(2)に関しては、意外と盲点になる要素。問題が生じた時、人の多くは自分に原因を探します。でも、原因が自分だけにあるとは限りません。また、「時間超越の罠」みたいなものがあるので、なおのこと、把握が難しい。

例えば、体調が悪い時、人は身体的な病気を疑ったり、あるいは、自分の生活態度に問題がないかと調べたりします。でも、それでは原因が見つからないケースがある。心と身体はつながっているので、心理的な問題が身体に影響を与えていることもあるのです。そしてそれは、ずっと過去のことだったり、過去から現在につながることだったりすることも。

つまり、問題自体は現在にあり、今ここにある。でも、それに影響を与えている核心は、目の前にはなかったり、時間や場所を超越していたりすることもあるんですね。そしてこれらは、「自分の態度を直すだけでは どうにもならないこと」だったりする。

人は、自分のことなら気づいて直すことができますが、相手のこととなると、直すことはできません。当たり前ですが、相手の裁量は、相手の中にあるんです。それが、(2)の意味というわけ。



<パターン化>

(1)と(2)ではそれぞれ違うので、対処法も異なります。ただ、「同じようなこと」も存在する。それが、「パターン化」です。

(1)はいうなれば、「直すべき自分の態度」。人は生きているとパターン化してくるので、どこかで偏りや歪みが生じる。することはいつもするし、しないことはいつもしないので、バランスを崩すんですね。これは生きる態度もそうだし、生活習慣病などに関することも、同じです。

そして言えるのが、「どこかで修正しないと危ない」ということ。下手をすると、大事(おおごと)になってしまいます。


(2)は、人間関係といえるでしょうか。相手と自分の間で生じること。これもだいたいパターン化されるので、蓄積される。なので、些細なことでも積み重ねにより、大ダメージとなり得ます。この点も、生活習慣病に似ていますね。


これらとは逆のことを、ユングは「全体性」と呼びました。パターン化が偏りだとすると、全体性は満遍なくある状態。パターン化が何かに欠けた状態だとすれば、全体性はすべてが補われている状態です。

この全体性の獲得を、ユングは「個性化」と呼びました。

個性化とはつまり、人格発達の最終的到達点は全体性、つまり個人的状況が許すかぎり完璧な人間になることである。



<無意識、夢、影>

人間はパターン化することなどにより、問題を持つことになります。パターン化自体が悪いということではありませんが、<状況が変わっているのに同じことを続ける>というのが問題を生むのです。

ある人は、黙っていることが人生の秘訣だとして、これまで過ごしてきた。また、そのおかげで、大きな問題は生じなかった。ところがある時期から、次から次へと問題が生じ、黙っているだけではどうにもならなくなった。

こういうことが起こりうるわけですね。

また別の人は、思ったことを口に出すことが人生の秘訣だとし、今までそうしてきた。そのおかげで、人生を切り開けたと自負していました。ところが、ある時から、問題が生じるようになった。そこで深く考えた時、自分の思ったことは何でも口に出すという姿勢が、影響を与えていたことに気づく。

これらは両方、パターン化が生む問題です。そして、人間は性格を持つので、形を変え、こういう布置の中に生きることになったりする。


ここで必要なことは、まず、「気づくこと」。次にそれを「認め」、「修正する」こと。

ただ、これが難しい。

まず、人は気づけません。客観的に見たら分かることも、当事者でいる間は、なかなか分からない。そして、それを認めるのも、なかなか難儀です。なので、修正するのはかなり難しい。

そんな中で、気づけるようにすること。認められるようにすること。修正できるようにすること。それを模索することが、心理学の側面だと思います。

とはいえ、気づくためには指摘するわけにはいかず、認めてもらうためには説得するわけにはいかずと、そういう難しさがあるんですけどね。


ユングが頼りにしたのは、「無意識」でした。無意識が、「見直す点」や「考え直すポイント」、「見落としていること」などを、教えてくれるのではないかと考えた。

そのひとつが、「夢」だったりします。あるいは、「影」という概念も、そうでしょう。

ただし、夢も影も、ストレートに説明してはくれません。分かってみれば「ああ!」ってなもんですが、そうなるまでは「?」みたいなままなんです。

例えば、裸で歩く夢を見たとする。でも、実際に裸で歩くことになるのかといえば、そんなことはありません。でも、自分の生き方や生活態度を思い直した時、「まるで裸で街を歩くような」という点に、思い当たるかもしれない。

度々、高台から飛び込む夢を見る人がいるかもしれない。でも、実際に、ダイブするわけでも、ダイブを迫られているわけでもない。そんな中で、ある日、その人は、「まるで飛び込むような」とか「決心しての一歩」とか、そういうことに思い当たるかもしれません。そして、夢で見る結果に、「!」となるかもしれない。

またある人は、車の運転について、夢を度々見るかもしれません。そしてその人はある日、車の運転と自分の生き方、あるいは生活態度について、「!」となる共通点を見出すかもしれない。

このように、夢から気づきが得られる場合があります。


では、影は、どうでしょうか?

見るだけでイライラする存在、いちいち文句をつけてしまうもの、不愉快でたまらない何か。これらには、上手く説明できない「こだわり」が隠されていそうですね。

地面に映る影。これと同じで、心理的な影も、自分が映し出すものです。それは一見、自分のことではないようで、実は自分自身とつながったものなんですね。

だから影も、見落としている自分の何かについて、教えてくれることになる。ただ、初めの時点では、分かりたくもない忌々しいもの、として現れがちですが。


なぜ、影は生じるのでしょう?

その理由はひとつではないと思われますが、幾つかある理由の中で、こんなことが言えるのではないでしょうか。


「人は、逆のことにも魅力を感じる」


道徳を重んじる人も、俗なことに魅力を感じることがある。真面目な人も、くだけたことに魅力を感じることがある。謙虚な人も、自己主張することに魅力を感じることがある。我慢ばかりの人も、自由でいることに魅力を感じることがある。

これらはすべて、(程度さえ間違えなければ)人間らしいことじゃありませんか?

でも人は時に、そんな人間らしいことまで、抑圧してしまうんです。それこそ、蛇蝎のように嫌ってしまう。

そしてそんな姿勢が、人を殺しそうになることだってある。

この場合の人は、自分である場合もあれば、身近な誰かである場合もありますが。


で、そんな ―― 時に、殺されそうになっている人 ―― を助けてくれるのが、実は、影なのです。

道徳ばかり重んじる人の中に、俗なものもいいもんだぞと囁く。真面目な人を、危険な遊びに誘う。謙虚な人に、突然、自己主張させる。我慢ばかりの人に、自由の魅力をちょっとずつ教えていく。

これらには、転落の危険も含まれます。今までを壊し、台無しにする可能性もあります。だから、自我は、すごく抵抗したりするんですね。それはある意味、安定を破壊することですから。

でも、そうしてまでも、影には伝えたいこと、教えたいことがあるというわけ。安定を壊してでも、到達させたい領域がある。



ユングは、無意識に自己調整のための“ホメオスタシス原理”があると考えました。

ざっくりいえば、多すぎれば減らそうとするし、足りなければ補おうとするし、高すぎれば削ろうとするし、低すぎれば盛ろうとする。そんなシステムがあると、考えたのです。

上述の夢も、影も、そんな中のひとつ。

ただ、無意識が全部それをやってくれるわけではありません。むしろ、無意識自体はやれないことなんですね。無意識はあくまで「教える立場、知らせる存在」で、「実際にやるのは自我の仕事」なんです。

無意識は、SOS信号を出したり、どこかに導くためのサインを出したりする。でも、自我の方は、それに気づかないことが多い。その理由は、無意識は言語を持たず、象徴表現を通してでしか伝える手段がないからです。

ここに、けったいな布置ができあがる。知らせたい無意識と、気づかない自我。なので、無意識の働き、知らせようとする姿勢は、大きくなるばかり。これがやがて、自我を圧迫し、数々の問題を起こしたり、体調を崩させたりするわけ。

いわば、自我が聴く耳を持たないから、無意識は叫んだり暴れたりせざるを得ないんですね。

そしてこれは、人間関係にもいえる。



ユングは、人間というものはそうなるべき像を持つものだと主張します。

なるべき何かになる過程、それをユングは「個性化の過程」と呼びました。

個性化とは すべての生物が ―― 単純な場合も複雑な場合もあるだろうが ―― そうなると最初から決められていたものになっていく、あの生物学的過程の一つのあらわれである。


そして、以下のようなプロセスを示しています。

個性化とは ―― 親や文化的環境から押しつけられた分裂状態を克服し、「ペルソナという見せかけのおおい」を捨て、自我防衛をやめ、自分の影を他者に投影するのではなく、なんとか影を知り、それが自分の内面生活の一部であることを認め、個人的な心のなかに住んでいる異性的な人格と折り合いをつけ、<自己>の至上の意図を意識的に実現しようと努めるのである。


このようなことを考えると、人間の悩みというのは、実は、個性化という流れの中に組み込まれたひとつの要素、その表れのようにも思えます。

悩みと向き合うことで、どこかに向かわせたい。あるいは、成長させたい。何かにならせたい。そういうことかもしれません。



というのが、ユング心理学のざっくりとした紹介です。

興味ある方は、以下のコンテンツも見てみてください。

(サイト内記事とブログ、両方あります)



 → やさしいユング心理学講座(目次)
 → ユング心理学概説(ブログ)
 → 人間と象徴(ブログ)



なお、引用部分は、講談社選書メチエ「ユング」(アンソニー・スティーヴンズ著 鈴木晶 訳)から。


 





人間と象徴 上巻―無意識の世界  ユング心理学入門―“心理療法”コレクション〈1〉 (岩波現代文庫)  ユング (講談社選書メチエ)


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【このサイトについて】

このサイトでは、ユング心理学の紹介を中心に行っています。

ある時期、人間の無意識は自我に変容を求めます。

悩みの一部は、自我がその変容を受け容れられないことから、きているようです。


そんな内なる要請と、外からの要請(=社会からの要請、身近な人からの要請)、

あるいは、内なる無意識の要請と、自我の要請、(心の要請と、頭の要請)

それらがぶつかり、葛藤を起こしているのかもしれません。


そのような状況を、ユングは、影やコンプレックス、アニマ・アニムス、夢分析などの考えを用いて、説明してくれています。

そしてそのすべては、個性化の過程という、人間の成長に集約されるようです。

これらに興味のある方は、「やさしいユング心理学講座」を閲覧してみてください。


以上、よろしくお願いします。














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