【城太郎日記】ユング心理学・カウンセリング



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ここでは、デビッド・D・バーンズ「いやな気分よ、さようなら」をテキストに進めます。
このページは、「考え方を変えれば気分は変わる」について。

『考え方を変えれば気分は変わる』




「認知の歪みと認知療法―考え方を変えれば気分は変わる―」


今まで、認知の歪みについて、学んできました。我々自身や身の回りには、たくさんの認知の歪みがあります。そして、それによって自分自身を、実際以上に不幸にしている。

それは <癖> のようなもので、やがて、反射のようになってしまいます。意識と関係なく、反応してしまう。

例えば、心のフィルターでは、よいものは弾かれて、悪いものだけに注目するようになる。これが、自動処理のように行われるのです。だから、意識してそれに逆らうとか、意識して検証するとか、そういうことが困難になる。知らない間に、そうなっているわけ。

人間は、パソコンでいうショートカットのようなものを作るところがあるようです。それは当初、慣れのようなもので、あまり意識しなくてもできる、といったもの。繰り返しやる内に慣れてきて、身につきます。そしてその次の段階として、意識しなくても自動でそうなる、といった状態になる。

毎日毎日しているようなことは、そのうちまるで、「勝手にそうなる」とか「自動でそうする」といった感じになることがあります。体が覚えるので、きっかけがあれば勝手にそう動く、みたいなところがある。例えばスポーツであれば、繰り返し鍛錬することで、一連の動作を徹底的に身につけます。いちいち考えなくても、体が反応するようにする。そんなものが、考え方でも、形作られるんですね。

認識の場合、例えば、[ 見て → それが何か考えて → 振り分ける ]という風にカテゴライズされますが、見た瞬間に勝手に、自動に、振り分けられるといったことも、起こるのです。

これはコンプレックス関連の記事でも書きましたが、脳は案外、こういうことをよくやります。ショートカットを作る。で、処理を簡略化するのはいいのですが、そのおかげで、間違った認識をすることも生じてしまう。レッテルなんかもこれで、中身を見ずに、貼られたレッテル(札)で判断するので、中の人間が無視されて、とんでもないことが生じるのです。

認知の歪みとは、このような癖であり、自動処理される経路。

「ひとつ失敗した → 全部だめだ」、「ひとつできない → 何もできない」などと、自動で決めつけてしまいます。

一般化のし過ぎだと、一度起こっただけのことがまるで、毎度起こることのように思えてしまう。なので、例えば、何年何十年という人生の中での一度や数度の失敗や不幸が、実際よりずっと広げられてしまう。実際の割合のグラフと、頭の中の割合のグラフが、乖離してしまいます。





こうなると、「今までの人生で、いいことなんて無かった」、だから、「これからも不幸に違いない」なんて、思えてしまう。

これだと、自信も希望も持てなくなりますよね。本当は、いいところも、たくさんあるのに。


認知の歪みの例を振り返ると、実際というものが正しく認知できていないことが分かります。それがさらに感情へとつながり、人は沈んだ気分になってしまう。自分は無価値だとか、生きていてもしょうがないとか、未来に希望がないとか、そう思い込んでしまいます。

これは例えるなら、へんてこな眼鏡をかけているようなもの。それを通して見ると、実際より大きく見えたり、実際より暗く見えたりする。見る側からすれば、それは嘘でもなんでもなく、実際に、そう見える。しかし、矯正された眼鏡で見ると、それが目の前のものという意味では、実際でなかったことが分かります。例えるなら、歪んだ眼鏡により、世界が歪んで見えていたのです。ということは、その歪んだ眼鏡を脱ぎ捨て、新しい矯正された眼鏡をかければ(見える)世界は変わる。


気分は、反射のようなものです。嫌なものを見れば気分が悪くなる。そんな、純粋な反応。けれど、歪んだ眼鏡を装着していると、実際はそうでないのに、それを嫌なものだと認知し、気分まで悪くなってしまいます。

何かを見間違えたり誤解して、ドキッとなることがあるでしょ? あれと同じです。

確かに、感情そのものはどうこうできません。思考の対極にあるものですから、考えで抑えきれない。また、その必要もありません。でも、もうお分かりですよね。認知さえ正せば、無用な落ち込みをしないですみます。自然な範囲での落ち込みはしますが、何でもかんでもごっちゃにして落ち込むようなことは、無くなってくる。


認知療法(cognitive therapy)は、このような認知の歪み(cognitive distortion)を正そうという試みです。



ここでは、デビット・D・バーンズの「いやな気分よ、さようなら」をテキストに、学んでいきたいと思います。





「落ち込みと回復」


うつ状態にある人は、自分に価値がないと思いがちです。このような想いは誰もが持つものですが、それを長く持ちます。一般の人はそのうちに忘れますが、うつ状態の人はずっと長く持つ傾向がある。

この違いに心当たりはないでしょうか?

そう、認知の歪みと似てますよね。認知の歪みは、否定的な部分を実際より拡大したり、よい部分や何でもない部分を無視して、悪い部分だけを見る傾向がありました。同じように、自分は無価値だという点に必要以上に注目するので、余計に気分が沈んできます。

気分は反応だと、上で書きました。ここでいうと、気分が沈むようなモノの見方をする癖がついているので、ずっと沈むのです。極端な言い方をすれば、わざわざ気分が沈むようなものを、見るようにしている。


ところで、自分を無価値だと思うとして、それを証明できるでしょうか?

おそらく、できないでしょう。なぜなら、多くは、そう思うからであり、根拠がないからです。そして、具体例があるにしても、それは一部。多くの人の中の一部の評価だったり、多くの要素の中のひとつのミスだったり、時には誤解だったりもする。

「そう思う」に注目すれば、それは気持ちとしては事実なのでしょう。事実、そう思う。けれど、客観的な事実までそうかというと、それは分からない。事実だとしても、その割合は分からない。そして、本来 分からないことを分かったとし、混同するのが、認知の歪みなのです。

ということは、人は、根拠のないこと、事実ではないこと、訳の分からないことで、落ち込んでいることになります。(また、落ち込まない人は、他者を責めたりする)


そう考えると、ちょっと馬鹿らしいですよね。

まるで、落ちているロープをヘビと間違えるような、そんな趣さえある。

それに気づくと、「なんだ」と、ひとりで笑ってしまいそうです。

そうか、そうだったか、と。


落ち込み自体は嘘ではなくて、気持ちとして本当で、でも、自己イメージと実際は、少し乖離(かいり)している。なので、その乖離を認知の修正により、近づけましょうというわけ。

認知の歪みを読めば、世の中には完全なものなどないことが分かりますよね。ということは、完全に無価値な人もいないことになります。部分部分をとれば、苦手なものがあったり、できないこともあるでしょう。例えば、算数が苦手だったり、走るのが苦手な場合もあります。でも、それだけで人格まで否定できるかというと、もちろん、そんなことはありません。むしろ、別のところに得意なことがあったりする。

それと同じように、何かにこだわり自分を全面的に否定することもない。自分の人格を否定してしまうのは、否定的なものだけに注目するからです。ということは、視野を広げれば、それは薄まる。多くの内の一部だということを知れば、また違ってくることを、意味します。


ところで、認知の歪みを持つことは(現実などを)理解する能力が欠けていることだと思いますか?

実はこれ、違うのではないでしょうか。理解する能力に欠けるのではなく、理解する能力の使い方が偏っているような気がします。すなわち、気持ちや感情への理解が強すぎて、現実認識の方に回っていない。だから、否定的な自己イメージが勝って、実際どうなのかに気が回らない。(逆の場合もありますが)

これは理解力がないということではなく、方向が固定されているということなんでしょう。ということは、それをほぐし、方向を広げられれば、実際への認識や検証ということにも、力を割けることになります。

というわけで、認知の歪みというのは、決して能力が劣っていることではないことが分かる。要は使い方の問題と、あとは慣れ。それをしなかったという癖を克服し、だんだんとするようになり、慣れれば、それで解決します。根本的に能力がないわけではないんですね。気持ちが理解できるんだから、その方向を変えれば、現実だって理解できます。ただ、慣れるまで、ちょっと苦労するだけ。そのちょっとを嫌がらなければ、ちゃんと、どうにかなる。

そして、この ちょっと を避けるために多くを得るチャンスを逃がしているのが、現代社会の問題なのだと、私は思っています。ちょっとでよくなることは、たくさんある。完璧ではなくても、ちょっとよいことが、どれだけ救いになることか。



悪い部分に注目するとは、どういうことでしょうか?

ある学生が返ってきた国語の答案を見て、落ち込んでいるとします。どうしたの? と訊くと、漢字の問題を5問中3問も間違えたと嘆いている。答案を見せてもらうと、確かに、漢字の問題を3/5、60%間違えている。でも、それは基礎問題の一部で、他の問題はすべて正解だった。つまり、97点だった。

この時、3問も間違えて口惜しいという気持ちは、真実なのでしょう。嘘でもなんでもない。しかしここで、3問も間違う自分は無価値だと言ったら、周囲の人は驚くかもしれない。え? 他の部分はできているでしょ?と。

認知の歪みとは、こういうことなんでしょうね。できることには注目せず、一部の間違いに注目し、それをすべてとしてしまっている。それに、この一回、にも こだわってしまっています。

こういうこだわりも悪くはなくて、それが向上につながれば問題ないですが、自己否定につながると、もったいない気がします。






というわけで、次回からは、もう少し具体的な方法に…


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