体罰問題に関する短い見解
★『体罰問題に関する短い見解』★
いろいろと問題になっている体罰の問題ですが、まったく反対だという意見もあれば、比較的賛成だという意見もあるようです。
これはブログの方で書いたことですが、体罰が必要だという意見には、誤認識や錯覚があるように思います。
→ 「体罰は必要という錯覚」
そこで確かめてほしいのが、以下の点。
<因果関係を見直す>
体罰により、人間は成長するのか?
その成長は本当に、体罰によるものなのか?
体罰でないといけないのか?
<罪悪感の問題>
自分が悪いからという罪悪感で、暴力まで受け入れてしまってないか?
仮に悪いとして、体罰でないといけないのか?
<一番大事なのは何か?>
人間的成長? スポーツなどの結果?
そのために必要なことは何だろう?
それは体罰でないといけないのか?
本当にそれは、体罰で達成されるのだろうか?
それを考えれば、答えが出ると思います。
時に叱る必要が出たりもするでしょうけども、体罰である必要はありません。
叱ればいいのであって、暴力を振るう必要はどこにもない。
ハッキリ言うと、体罰を振るう人は、叱り方がヘタなのだと思います。
なので、叱り方――もっといえば、選手との向き合い方――を考え直した方がいい。
あと、体罰を使った相手に対してですが、何も全人格を否定することはありません。
前述のとおり、叱り方がヘタなだけです。
他の部分では、選手想いだったり、生徒想いだったりするのでしょう。
なので、体罰や指導方法のみを問題とし、そこを徹底的に修正すればいいです。
ということで、彼らの全人格を否定するのは、「批判がヘタ」ということになるでしょう。
いや、気持ちは分からなくもないですが。
人間そのものを否定することに対し、身近な人ほど抵抗があるのだと思います。
けれど、その結果として体罰を肯定するのは、おかしい。
なので、分けて考えます。
・体罰行為を否定し、もう、しないようにする。
・人格や人間性は、また別に考える。
これを機会に、体罰を卒業することが望まれます。
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