★『しかしの克服、自分を認める方法』★
『しかし』をどう打ち破るか
虚無主義は諦めにつながります。また、諦めて動かないことで、本来いろんなことに使われるはずのエネルギーが、考えることだけに使われるようになる。しかも、認知の歪みを持っていると、いろんなことを否定的に考えることに、多くの力が注がれます。
この自動のループを打ち破るために、動く。動くことで、ネガティブな思考から、脱却します。
さて、そうはいっても、なかなか動けなかったりしますよね。その動きの邪魔をするものに、「しかし」という考えがある。
「さあ、○○しようか」 → 「しかし…」
「今日こそ、出かけよう」 → 「しかし…」
このように、「しかし」や「でも」が動くことを邪魔するのです。
デビット・D・バーンズは、「いやな気分よ、さようなら」の中で、「しかし―反論法」(But-Rebuttal Method)というものを、紹介してくれました。(P107)
「しかし」は、動機づけへの反発ですが、その「しかし」に、反論を試みます。
「今日こそウォーキングに出かけようと思っていたけど、寒いから…」
→ 「そう、寒いから、暖かい恰好で出かけよう」
「でも、観たい番組があるんだよな」
→ 「だから、録画してから、出かけよう」
「でも、ちょっと、疲れたかな」
→ 「疲れない体力をつけるためにも、出かけよう」
「しかし、前に余計やる気をなくしたことがあるしな」
→ 「そう、だから一気にやらずに、だんだんと体を慣らそう」
「結局、怠け者なんだ」
→ 「いろんなことをしてきたくせに、よく言うよ。さあ、出かけよう」
これのよい点は、自分で言うこと。
人に指摘されると嫌になりますが、自分だと、その限りではありません。
何かを続ける人は、ある意味、その喜びを知る人、なのでしょう。
例えば、ウォーキングだと、歩くと気分がいいとか、景色を楽しめるとか、じんわり汗を掻くのが気持ちいいとか、体調がよくなるとか、便秘が解消したとか、そんな、何らかの喜びを体験する。
そして、実際に動くことで、「しかし」の向こう側にある「けど」を、得るのです。
「やる前は、しんどいと思っていた」 → 「けど、そうでもなかった」
「はじめは気分が沈んでいた」 → 「けど、歩くと気分がよくなってきた」
「続くか心配だった」 → 「けど、やっているうちに習慣になった」
このような、よい意味での「けど」、意外なものが、出てくるんでしょうね。
そしてこれらは、やってみて はじめて分かることです。
「しかし思考」に縛られている間は体験できませんが、思い切ってやってみると、そして、ゆるめに続けていると、知らない間に感じることになる。
そしてそのうち、「あっ!」と、なります。
今まで見逃していた意外とよい点が、見えてくる。
このような体験が、だんだんと自信につながってくるんですね。
これを読んでも、「でも」「しかし」と、思います?
それはあなたの中で、あなたが動くことを邪魔する要素が、まだ居座っているからなのでしょう。
そいつは、あなたを縛り、そこにくくりつけておきたいのです。
「でも」「しかし」と考えさせ、巧妙に、あなたが動くことを邪魔します。
敵は、そいつです。そんな考えを、締め出す。
それこそが、自分と自信を取り戻す道です。
もう、騙されることはありません。
「自分を認める方法」
認知の歪みは、自分に価値がないと思い込ませます。何かと理由をつけ、自分を引き落とす。(それが外向きに発動した場合、相手を引き落とす)
自信とは文字の通り、自分を信じること。自分の価値や持っている能力、あるいは、考え方や行動を、信じることです。
認知の歪みを持った人は、「自分には価値がない」と信じます。自信の逆を、信じる。なので、いつまでたっても、自信が持てません。それも、根拠がないのに、信じて疑わない。理由なしに、自分を卑下してしまいます。
ということは、自信を持つには、この思考の癖を、何とかせねばなりません。これがある限り、自信なんて持てない。
ここでは、自分を誉めてみます。ネガティブな思考に反論し、よい点を見つけ、自分で自分を誉める。認知の歪みの逆の、よいもの探し、いいこと探しをする。それも、より意識するために、書き出します。書くことと意識することの効用は、前に書きましたよね。
ところで、人をイライラさせる人って、どんな人だと思います?
そのひとつは、「しかし」や「でも」が多い人。「しかし」や「でも」にやられて、実際をしない人です。これは、上でも書きましたね。「しかし」に反論し、何かを実際にやるようになれば、こういったものは、やがて解消されるでしょう。
今、「しかし」と思いましたか? その考えこそが、敵なんです。「くせ」とか「パターン」という、敵。
人をイライラさせる要素として、もう一つは、「人の言うことを聞かない」というのもあるかも。
誰かが、「あなたはできてますよ」と言っても、「いいえ、できていません」と言って聞かない。誰かが誉めても、「いいえ、よくない」と言って聞かない。このようなことは多少あるにしても、そればかりだと、やがて相手はイライラしてくるかもしれませんね。
そんな相手のイライラに接し、「やっぱり、わたしなんて…」と、なってしまう。そしてまた相手がイライラするという、奇妙なループにはまってしまうことも。
なので、否定的な考え方を打ち破ることや、認めるべき点を認めるというのは、大切なようですよ。
さて、「自分を認める方法」ですが、これは「自分を誉める」練習から入ります。
まず、「自分を卑下してしまうような内容」を書き出し、その横に、「自分を尊重するような内容」を書き加える。(P109)
「○○できたって、大したことない」
→ 大したことないというけれど、それが人の役に立っている。
→ 人は全部をやれないから、互いに担当を持つんじゃないか。
「あの人は、もっとすごいことをしている」
→ あの人だって、すぐにこうなったわけではあるまい。
→ それに、わたしのしたことも、全体の役に立っているじゃないか。
→ 誰にでもできるといっても、する人がいなければ、それはゼロだ。
「結局、完璧にはいかなかった」
→ でも、やり終えた。
→ それは、見事に こなしたともいえる。
はじめは、ぎこちないかもしれません。でもそれは、慣れていないから。違和感を感じたとしても、それも、慣れてないせいです。そしてこの、慣れが大事。
今まで否定することに慣れ、当たり前にしていたのを、誉めるのに慣れることで、方向転換させます。
仮に、直した方がよい点がでてきたなら、直せばいいじゃないですか。それは改善点があるということ。直せばよくなる点が、見つかったということです。よくなる手がかりの、発見。プラスの芽です。
「でも」や「しかし」にやられていると、実際が手につかず、悔んだり悲しんだりするのに一生懸命になってしまいます。なので、プラスの芽も発芽しません。
これこそが、認知の歪みの手法。我らが敵のやり口です。
「でも」や「しかし」に反論し、騙されず、自分の評価できる点は、フェアに誉めればいいんです。
やることや したことをリストアップし、できた点を、誉めてあげましょう。
それによって忘れることが防げたり、改善点が見えてくる。
自分を誉めよう、そして、相手を誉めよう!
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