★『概要』★
気分や感情は、「反応」です。当たり前ですが、悲しい目に遭えば、悲しい。うれしいことがあったから、うれしい。おもしろいことに接したら、笑うでしょう。
これらは実際のことですが、実際には無いことでも、感情は生じます。
ただのロープであっても、それをヘビだと勘違いすれば、驚くでしょう。悪口を言われていると勘違いしただけでも、気分は沈む。調子が悪いことを拡大解釈して、大病だと思い込んでしまうと、不安になってしまいます。
このように、勘違いしたり、誇張したり、そんな現実ではないことが、気分に大きな影響を与えてしまうことがある。さらに、これが長い間続くと、ストレスが蓄積し、うつ病に発展することだってあるでしょう。
一時的な不安や気分の落ち込みなら、問題ありません。でも、長い間そうであると、心身共にまいってしまう。金属だって、長い期間、力を繰り返し受けていたら、ポキリと折れてしまいます。この金属疲労と同じように、人間だって、どうにかなってしまうのです。
精神科医のアーロン・ベック( Aaron Temkin Beck )は、うつ病患者の特徴に悲観的な思考があることに気づきました。何かにつけ否定的に捉える、そんな考え方の癖が見られた。
それがこれから紹介する「認知の歪み」と呼ばれるものです。また、アーロン・ベックは、認知の歪みを修正する方法として、「認知療法( Cognitive Therapy )」を考案しました。
【認知療法】
出来事に対して自動的にもつ誤った考えや認知の歪(ひず)みを修正することによって,感情や行動の変容を図る心理療法。
(大辞林)
我々は目の前のものを見て、「○○だ」と認知します。けれど、それが客観的なものであるとは、限りません。勘違いや思い込みをすることもある。そして、前述のとおり、間違った ―― 主に否定的な ―― 認知は、嫌な気分を生んでしまいます。
その結果、悲しまないでいいことで悲しみ、怒らないでいいことで怒り、混乱したり、うつ症状になることだってある。
認知の歪みは、目を曇らせます。目の前の事実を、実際より大きくしたり、小さくしたりと、極端なものにしてしまう。そしてそれが心に影響を与え、しまいには身体の不調や虚無感など、様々な問題を生んでしまう。
この歪みは多くの場合、マイナス思考を強化してしまいます。さらには否定的な未来を想像、確信するようになり、生きる気力を失くさせてしまう。
これらはいわば、勘違い。なので、「な〜んだ、違うのか」と思えれば、修正できる。「本当は、そんなに悲観的でないのか」と、ホッとできます。
とはいえ、考え方の癖がついてしまっているので、そのままでは変化がありません。この自動思考に対し、意識的にストップをかけねばならない。
例えば、書き出してみて、それが現実なのかどうか、検証する。「本当にそうなのだろうか?」「極端になってないだろうか?」と、確かめるんですね。
まずは、否定的な自動思考に気づき、現実にはどうなのか比べ、「思っていること」と「実際」のギャップを埋めればいい。そうすれば自ずと、気分も晴れてきます。
悩まない、悲しまない、というのではありません。悩み過ぎや悲しみ過ぎから脱し、ほどほどに悩み、ほどほどに悲しめばいい。それが人間らしさです。イライラや不安にしても、ゼロにするのではなく、ほどほどにすればいいのです。
認知の歪みの種類は、以下の10個。
□ 01.全か無か思考 (all-or-nothing thinking)
□ 02.過度の一般化 (overgeneralization)
□ 03.心のフィルター (mental filter)
□ 04.マイナス化思考 (disqualifying the positive)
□ 05.結論の飛躍 (jumping to conclusion)
□ 06.誇大視(拡大解釈)と過小評価 (magnification and minimization)
□ 07.感情的決めつけ (emotional reasoning)
□ 08.すべき思考 (should thinking)
□ 09.レッテル貼り (labeling and mislabeling)
□ 10.個人化・自己関連づけ (personalization)
では、それぞれについて、見ていきましょう。
「全か無か思考」に進む >>
<社会的な意義>
認知の歪みは、個人に生じると同時に、社会にも生じるようです。時々、間違った通説が、まかり通っていたりするでしょ。「俗説」といっても、いいかな。
【俗説】
世間に言い伝えられている根拠のはっきりしない話。
(大辞林)
根拠の無いことで非難されると、人間が痛みます。また、非難した方も、罪を負うことになってしまう。
なので、認知の歪みを解消することは、個人にとって有益であると同時に、社会にとっても意味ある事だと言えそうです。個人の救いになると同時に、社会を成長させることにもつながる。
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