認知の歪み
★『自己関連づけ・個人化(personalization)』★
第10回 「自己関連づけ・個人化」(personalization)
自己関連付け・個人化は、あらゆることを自分に関連付けてしまう認知の歪み。否定的な出来事、よくない出来事は、すべて自分のせいだとしてしまう。そこに合理的な原因や関連が見いだせないのに、ともかくわたしが悪いと、なってしまいます。
相手の問題であっても、「ああ、わたしが悪いから」と、罪を背負おうとする。相手がよくならないのは自分の力不足のせいだと、いちいち自分を責めてしまう。冷静な第三者が「?」となるような、責め方をします。
そんな思考の癖。
自責の念というのは確かに無いと困るものですが、必要以上に背負おうとすると、パンクしてしまいます。心は晴れないし、やる気だって、出ないでしょう。
デビッド・D・バーンズは、個人化では「影響」と「操作」がごっちゃになっている、と書いています。
人は確かに、影響を与え合う。しかし、結果のすべてが、その影響によるものとはいえません。影響があるにしても、割合というものが、あるはずです。
しかも、影響を与えるということと、相手に何かさせる、ということは違います。直接命令したり操ったりしたのならともかく、間接的に影響を与えたというだけで、その人がしたことの責任を全部負うことはありません。
相手の功績が相手のものであるように、相手の不利益もまた、基本的には、相手のものです。その人が「したこと」を、誰も奪うことはできない。よいことであれ、そうでないことであれ、ですね。
人には容量がありますから、ひとり分は何とかなっても、他の人の分まで背負うのは困難です。また、多くを自分の責任だ、自分のせいだとしていると、落ち込むし、気力も出ない。そんな状態なのだから、なおさら他者の分まで負うことは難しい。
自己関連付け・個人化で苦しむ人は、人の荷物まで持とうとして疲弊しているのに、それをやめようとしなかったり、そこからさらに荷物を持とうとしてしまう。
でも、だから悪いということでは、ありません。
そうなってしまうような考え方の経路が深く刻まれているので、自然処理のようにそうなっているのです。決して、意識的にそうしているわけではない。いわば、考え方に振り回されています。
ここで罪悪感を持つのは、さらに荷物を持つようなものなので、それはやめましょう。
それよりは、荷物を降ろした方がいい。
どうも、善悪云々にこだわると実際が疎かになってしまうようです。だから、善悪抜きに、まずしんどいことをやめましょう。
この姿勢は、きっと、すべての認知の歪みに、つながるものなのでしょう。
【追記】
自己関連付けが、なぜ問題なのか?
(1)
何でも自分のせいにすると、それだけで疲れ、身動きが取れなくなってしまう。他人の分まで背負うので、過負荷の状態に。疲れて当たり前です。
(2)
「わたしが悪いんです」で終りがち。嘆くばかりで、その先がない。
今が「最悪」だとすれば、必要なのは「チェンジ」です。しかし、(1)にしても(2)にしても、本当に問題なのは、「先に進まないこと」。
自分を責めることばかりに一生懸命で、力を使い果たしてしまう。変わろうとすることに使う余力がありません。
自己関連付けの反対にあるのが、「Blaming(非難)」。
これは方向が正反対で、あらゆるものを他人のせいにして、責任を負わせようとする行為。これも半ば自動化されており、何でもかんでも相手のせいにする。
結果、反省がなく、態度を変えることができません。修正ができない。そんな困った状態です。
こちらは相手を責め、ウンザリさせたり、疲れさせたり。また、その結果として自分を追い詰め、立場を悪くすることも。
というわけで、10個の認知の歪みについて、見てきました。
でも、これを披露した目的は、それが悪いと言いたいからではありません。
そうではなくて、必要以上にしている苦労や、必要以上に持っている罪悪感、否定的な感情、それを棄てちゃいましょう、という提案です。
苦労も罪悪感も否定的な思考も、それそのものは決して悪いだけのものではありません。でも、必要以上に持つこともない。
認知の歪みを正すことで、それを自然な状態にしましょうか、というわけ。人間は、自然な状態であれば、それなりにダメージから回復できるものなんです。
悩み苦しんでいる人は往々にして、そのバランスを失っていることが多い。なので、全部なくすのではないけれど、適度な範囲に修正しましょう、そんな呼びかけなのです。
すぐ治るのかと言われれば、それに答えることができません。
なぜなら、そうなることはあるかもしれないけど、長くかかる場合も多いだろうから。
認知の歪みを持つと、「すぐ」とか「全部」にこだわってしまいますが、そのこだわりを棄て去ることが、認知の歪みの修正の一部です。
ひょっとしたら、今現在は、「すぐ」とか「全部」にこだわってしまう人もいるかもしれません。
でも、それにしたって、「今は」です。決して、未来永劫そうであるということではない。
というわけで、まとめを経て、認知の歪みの修正の段階に進みたいと思います。
よろしくお願いします…。
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