★『心のフィルター(mental filter)』★
第3回 「心のフィルター」(mental filter)
フィルターとは、一般には、ろ過機のこと。ろ過する装置。
コーヒーのフィルターだと、挽いたコーヒー豆を残し、コーヒーの成分だけを抽出する。偏光フィルターだと、ある波長の光だけを通過させます。電気回路だと、特定の周波数だけを通過させたり遮断したり。タバコのフィルターだと、ニコチンだけを取り除こうとします。
このようにフィルターには、あるものは通し、あるものは通さないといった、働きがある。
心のフィルターの場合、あまりよくないこと、ネガティブなことだけを通す傾向があるようです。つまり、よいことは無視され、悪いことにこだわってしまう。よいことはフィルターによって取り除かれ、どちらかといえば悪いことだけが抽出されてしまうのです。
例えば、過去を思い出すにしても、いいことも悪いことも両方あったとしても、心のフィルターを通して、悪い思い出だけが抽出され、出てくる。未来のことを思うにしても、何だかよくないことばかり、想像してしまいます。
こうなると、精神的にまいってしまいますよね。しんどくなってしまいます。
気持ちは反応なので、否定的なことばかり抽出され、それにばかり注目すると、当然、落ち込むのです。心配にもなる。何だか、自分はダメなように思えてしまう。
第1回のオールオアナッシング・全か無か思考では、物事を、完全か不完全か、成功か失敗か、パンッと真ん中で切断し、二元論的に考えていました。したがって、その中間が存在しません。
第2回の過度の一般化では、成功にしろ失敗にしろ、小さなものを大きく拡大し、絶対視する傾向がありました(数少ない経験を、全体に適用しようとする)。
そして、第3回心のフィルターでは、悪いことだけが抽出され、よかったことが弾かれる。
どれも、「本当の割合」みたいなものが無視されています。
完全ではないけれど できることも多いとか、たまには効果がない時もあるけど 概ね効果があるとか、悪いこともあったけど よいこともあったとか、そういった実際が、どうも見れなくなってしまう。
そしてその多くが、自己否定につながりがちなんですね。
自分を不完全なものだとし、いつも失敗するに違いないと信じ、人生は悪いことばかりだと思ってしまう。これでは気分が沈むし、未来に希望が持てません。
これも“たまに”ならまだいいのですが、“いつも”だと、さすがにしんどい。
この心のフィルターに似たものに「マイナス思考」がありますが、こちらも見てみましょうか…
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★『マイナス化思考(disqualifying the positive)』★
第4回 「マイナス化思考」(disqualifying the positive)
心のフィルターでは、よいことが ろ過され、悪いことだけが抽出されるというパターンが確立されてしまいます。
マイナス化思考では、よいことが消されたり弾かれたりするだけでなく、よいことも悪いことにされてしまう。何でも、悪いことに すり替えられてしまうのです。なので、何もかもが、悲観的なものとなります。
例えば、相手が好意をもって笑っていたり、特に意味もないけど微笑んでいるのを見て、何だか疑いを持ってしまったり、(否定的な意味で)笑われているような気がしてしまう。何かよいことをされても、裏があるように思ってしまったりする。あるいは、成功しても、まぐれだと思ったり、大したことではないとしたり、場合によっては気を使って褒めてくれているのだとしてしまう。
まるで自動の変換機があるようなもので、よいことから些細なことまで、悪いことにしてしまう。これでは、自分のことを評価できません。
何もかもが、マイナスへマイナスへと変化し、ネガティブなものに。
素直に喜べない。なかなか満足を得ることができません。
心のフィルターにしても、マイナス化思考にしても、そういった習慣がついていて、癖になってしまっているようです。また、癖になるということは、そうなるだけの事情があったのでしょう。
そうすると、気の毒に思うことはあっても、責める気にはなれませんよね。
マイナス化思考は、何でもないことや、むしろよいことが、マイナスなものに置き換えられてしまいます。意識的にそうするのではなく、自動的に、そうなってしまう。そういう癖がついてしまっているのです。
認知の歪みにやられてしまうと、必要以上に罪悪感を感じてしまったりする。
重荷を背負いこんでしまいます。
でも、もう、そんなことはしなくていい。
罪は、自分の分だけ、それも正当な分だけ、感じればいいのです。
荷物も、人間ひとり分だけ、持てばいい。
疲れるのは、持たないでいいものまで持っているから。
必要以上に、自分を責めることもありません。
あなたは、あなたであっていい。
いいところも悪いところもあるし、どっちでもない部分もたくさんある。
無理に持ち上げる必要がないように、無理に引き下げる必要もないのです。
エニアグラムには「囚われ」という自分を制限するパターンのようなものがありますが、それと同じように、あなたはもう、自分をマイナス化することはない。
あなたはあなたで、大丈夫。
「多少間違っても大丈夫」「人のために生きなくても大丈夫」「期待に応えなくても大丈夫」「特別でなくても大丈夫」「何も持ってなくても大丈夫」「誰かに守ってもらわなくても大丈夫」「気持ちいいことを追い求めなくても大丈夫」「強くなくても大丈夫」「自分の意見を言っても大丈夫」
そして、「あなたは価値ある人間でも、大丈夫」。
仮にあなたが価値ある人間であることで、気を悪くしたり、堪らなくなる人がいるとしても、それはその人の問題であって、あなたの問題ではないし、ましてや、あなたが悪いということでは、決してありません。
もし、悪いところや修正すべき点があるとしても、それは部分であって、全体ではない。ひとつで全部を否定することはないのです。悪い部分だけ、直せばいい。
あなたは、あなたで、大丈夫。
私は私で大丈夫。それと同じように、あなたはあなたで大丈夫なのです。
→ エニアグラム(ブログより)
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