【城太郎日記】ユング心理学・カウンセリング


城太郎日記へようこそ♪
ここでは、「認知の歪み」について紹介しています。
このページは、「過度の一般化」について。

『過度の一般化(overgeneralization)』




第2回 「過度の一般化」(overgeneralization)


過度の一般化



認知の歪み、第2回は、「過度の一般化」「一般化のし過ぎ」について。


これは、個々のケースを一般化し、多くのケースに当てはめようとする行為。狭い範囲のことや、ひとつの事例を、全体に通用させようとする。時には、個人的な経験を、みんなもそうなるに決まっていると、一般的なものに拡大してしまうことも。


例えば、あるやり方で成功したとします。すると、このやり方で「何にでも成功する」ものだと信じてしまう。あるいは、「いつも成功する」のだとしてしまう。逆に、一度失敗すると、「必ず失敗する」のだと思ってしまう。いつ、何に適用しても、失敗するのだと信じる。

極論すれば、一度の失敗で、これからもずっと失敗するものだと思ってしまうし、一度の成功で、全部に成功するものだと思ってしまう。そう固く信じ、疑いません。

(この場合の「一度」は厳密な回数ではなくて、少ない回数のこと)


しかし、これも、場合場合なんですね。「こうやったら成功する」にしても、「こうやったら失敗する」にしても、それは限定された範囲に適用されるもので、それを超えると、うまくいかなくなります。場合によっては、「たまたま」なんてことも、あるでしょう。そんなことは検証してみないと、分かりません。

例えば、薬というのは限定された症状に効果を発揮するのであって、他の症状には(基本的には)効かないし、時には害にさえなります。

ただ、過度の一般化に囚われると、こういうことが分からなくなってしまう。

一度効果を実感してしまうと、いつも効くように思ってしまう。また逆に、一度効果を感じられないと、全部に効果がないものだと思ってしまいます。

基本と例外を考えるなら、例外ばかりに目がいって、基本を蔑ろにしてしまう。

基本というのはだいたいそうなること、だいたいそうであることなのですが、例外ばかりに囚われると、認知しにくくなるようです。「確かに絶対ではない、でも、だいたいそうである」が、なかなか理解できない。

この辺は、前回のオールオアナッシングに似てますね。


最近話題になっているホメオパシーについても、こういうことが言えるのかもしれません。

ホメオパシーとはもともと、病症と同じような症状を起こす薬を用いて病気を治療しようとする方法で、例えば、下痢に下剤を処方したりする 19世紀初めの民間療法です(大辞泉より)。これが今では、体の自然治癒力を引き出すという点が拡大され、広まっているような印象。

ホメオパシーについては、科学的な効果はないとされています。プラセボ(偽薬)以上の効果はないとして、代替医療性も否定されている。そしてこの間、新生児のビタミンK欠乏性出血症死亡事故という痛ましい事件も起こりました。


こういったことの背景にも、ひょっとしたら、認知の歪みがあるのかもしれません。

一度成功すると(成功したと聞くと)、いつも成功すると思ってしまう。科学的根拠も統計的な有効性も立証されていないにもかかわらず、それが有効な医療行為だと錯覚してしまう。逆に、だいたい成功するけれど 時には失敗することのある 一般的な医療行為の方を、疑ってしまいます。

一般的な医療行為とて完全ではありませんから、時には効果があまり見られない場合もあるでしょう。そして、この場合、それが拡大され、「何だ効果がないじゃないか」→「何にでも効果がないに違いない」となってしまう。

実際に全体のうち どれくらいの割合で効果があったりなかったりするのか、そういうことが無視されてしまいます。

一方で、わずかな成功例が拡大され、もう一方で、わずかな失敗例が拡大されてしまう事態に。そしてそれを信じたら、とことん邁進してしまう。


また、こういう認知になると、往々にして、悪者が作られてしまいがちです。

悪い部分だけがクローズアップされ、まるで全部が悪いかのような扱いを受けてしまう。また時には、悪い部分が多いものが信奉され、実際よりよいものとされたりもする。

目の前のものが、正しく認知されません。


これも、オール・オア・ナッシングと同様、場合場合や割合が無視されていますよね。一度や数度が拡大され、いつものように扱われてしまう。

なので、もう少し全体を見る習慣が求められるようです。

別に、部分に注目することは悪くはないのですが、それがいつもになったり、何にでもとなったり、全体を無視して使われると、バランスを失ってしまうようです。

なので、全体を見ることも、時には求められます。というか、部分も全体も、両方が大切になる。その一方のみになると、偏りが生じるようです。

たまには他のものに触れたり、視点を変えたり、そういうことが必要になってくる。あるいは、もう少し合理性というものを鍛えることも、必要になるかも。

何より、「本当にそうか?」と、確認することが大事。

部分も大事、でも、全体も大事。どちらも同等に扱うことが、脱出の秘訣です。本当に「必ずそうなる」のか、検証しないと、危ないかも…






<<「全か無か思考」に戻る

「心のフィルター」「マイナス化思考」に進む >>




必ずそうなると断言するには、それなりの回数が必要。

一度や二度だと、「単なる偶然」である可能性もあります。







ページの先頭に戻る



SINCE 2004.11.16

 RSSリーダーで購読する

 メールで購読する


最新の記事が分かります。

こころが晴れるノート―うつと不安の認知療法自習帳

自信をもてないあなたへ―自分でできる認知行動療法

はじめての認知療法 (講談社現代新書)

100のノウハウよりただ一つの自信 ゆるぎない「自分」をつくる77の心理技術 (Nanaブックス)

はじめての心理学―心のはたらきとそのしくみ

最近のブログ更新記事。

河合隼雄文庫


枕石漱流 日記(ユング心理学の視点から)

サブメニュー

TOPページに戻る

web拍手 by FC2   ランキングに参加してみました

 







2010年10月13日:作成
2013年07月12日:テンプレート変更
2015年01月22日:テンプレート変更



Copyright (C) 2004〜 南方城太郎、城太郎日記 All rights reserved.

壁をブチ破れ、さすれば能力は格段に跳ね上がる!!




ブログパーツ アクセスランキング