【城太郎日記】ユング心理学・カウンセリング



城太郎日記へようこそ♪
このページでは、スーザン・フォワード著「毒になる親」を紹介をします。
今回は、「親の問題に苦しむ子どもたち」
「もう一方の親の役割」について。

第4回『親の問題に苦しむ子どもたち/もう一方の親の役割』




<親の問題に苦しむ子どもたち>


第4章では、「アルコール中毒の親」について触れられています。が、ここはあえて広げて、「親の問題に苦しむ子ども」として、見ていきたいと思います。


親に問題がある時、その家族は秘密を抱えることになるという。そこには、次の3つの要素があります。


(1) 本人による事実の否定

まず、本人がその事実を否定する。

(2) 本人以外の家族による、事実の否定。

これは、理由づけ、言い訳をして、納得すること。「××なのは、△△のせいだ」、そう言うことによって、無理にでも納得しようとする。

(3) 自分たちは“ノーマルな家”なのだと取り繕う。


この(3)は心情としては分かるのですが、子どもの心を歪めてしまうのだという。なぜなら、子どもの中に湧く自然な疑問を、無理やり抑え込まねばならなくなるから。常に事実を否定しなければならないし、周囲にも事実と違うことを話さねばならなくなる。

こうなると子どもの中には罪悪感が生まれ、他人に信用されるかも自信が持てなくなるという。自然な人付き合いも、難しくなります。常にバレないかと、エネルギーを使わねばなりません。

このように、外部に対しては孤独になる一方、家族の結びつきは強くなるといいます。秘密を共有する者同士、結びつきは強くなる。そして、問題のある親に対しては無批判で、忠実になる。


このような状況にある子どもは、多くのエネルギーを割かれてしまう。何に使うのかといえば、1つはノーマルな家の体裁を保つこと、もう1つは何とか親を救おうとすること。前者には秘密を守ることも含まれるだろうし、後者には親の顔色をうかがうことも含まれるでしょう。

この結果何が起こるかといえば、子どもは自分のためにエネルギーを使えなくなります。本当はつらいので、心の支えが必要。でも、実際は、自分が支える側に立たねばならなくなる。

何とか問題ある親を救いたいと頑張る子どもは、親がどんな気分でいるかに気を遣うと共に、それが自分の責任であるかのように思い込んでしまうのだという。そしてやがて、これが癖になり、すべての人に対し、こうしてしまう。本心を常に隠し、誰かを傷つけやしないかとビクビクしてしまう。

前にも出てきましたが、このような状況では、親子の逆転現象のようなものが生じてしまいます。子どもが親を世話し、傷つけないように気を遣わねばならない。毒になる親は、親である役割を放棄し、同時に、子どもの役を奪い取るのです。結果、子どもは子どもでいられなくなる。

客観的に見れば、子どもが被害者です。でも、親であることを強いられた子ども(子どもの役を奪い取られた子ども)は、後ろめたさを感じるのだという。救えなかった、気分を損ねてしまった、守れなかったと、親が負うべき責任を、子どもの方が背負いこんでしまう。

これらは長年親しむ結果、パターン化されます。そしてまた、別の事態をも引き込むという。「問題ある人を救う」というパターンに長年晒されているため、無意識にか、そういう人を探してしまう。なので、問題ある人をパートナーに選んでしまうことも多いのです。

本来この人は苦しんでいるのですが、それを認めることはできない。むしろ、苦しんでないと思いたい。あるいは、絶対に救えると思いたい。このような心理が作用してか、問題ある親と同じような人を、選んでしまう。

このような布置では、子どもの頃だけでなく、将来にわたっても、人生を縛られてしまうことがあるんですね。


立場の逆転といえば、加害者と被害者の立場も、逆転するようです。

第三者の目から見れば、あの子は悪くもないのにひどく叱られているように見える。が、当の子どもは、自分が怒らせてしまったと気に病んでしまう。第三者が、あの子は暴力を振るわれたと思うような場面でも、本人はまるで「暴力をふるわせてしまった」といった感じに受け取ってしまうことも。

このように、客観的には被害者であるはずなのに、本人はまるで加害者であるかのように気に病んでしまう。


今まで書いてきたようなことを考えると、このような状況にある子どもは、「本来得られるはずのもの」を欠いてしまうことになります。自分に向けられるはずの愛は、何らかの脅威に変わっている。規範(ユング心理学でいうペルソナ)を育てるはずの親の態度も、不安定ではっきりしない(理由もないまま、機嫌がよかったり悪かったりする)。

人と親しくなるには、(1) 相手を信用し、(2) 自分をさらけ出す、ことが必要だという。

が、上のような布置にある子どもは、どうなるだろう? 疑わないでいいものまで疑い、怖がらなくていいことまで怖がりはしないだろうか。そして奇妙なことには、第三者が「?」となるようなものを信じてしまう。

その信じるものとは何か?

それは、問題ある親だという。

どんなに傷つけられても、どんなに裏切られても、信じようとする。

助けたいと、願います。


そして、それを正そうとする人たちからは、遠ざかってしまう。

こうしてまた、彼や彼女は、あの家の中に縛られるのです。





<もう一方の親の役割>


役割や立場が逆転すると、子どもは親の世話をしなければならなくなる。いつも気にかけねばならなくなる。何かあれば、自分のことを置いておいて、駆けつけねばならなくなる。

そしてやがて、つぶれる。

人間の体はたいしたもので、小さな傷ぐらいは治してしまいます。でも、待ってください。その小さな傷も、頻繁に、同じ箇所に、生じたらどうでしょうか? 毎日毎日傷つけられたら、どうなってしまうでしょう?

そのようなカラクリが、心にはあります。

子どもは、「このくらいのことは」と我慢しようとする。問題ある親も、「このくらいのことは」と正当化しようとする。でも、待ってください。それは一度だけでしょうか? それとも、何度も繰り返されているのでしょうか?

また、第三者も気をつけねばならない。何度も繰り返されることの内、1つだけを見て、「このくらい」と思ってしまうことがあります。口に出すことさえ、あるかもしれない。


重荷ということにおいても、同じようなことが言えるでしょう。すなわち、それは稀に背負っているものなのか? それとも、いつも背負っているものなのか? さらに言えば、それは本来、あなたが背負うべきものなのか?

そして、あなたは休めているのか? なぐさめられること、癒されることはあるのか?


親の感情が不安定だと、子どもは翻弄される。

ペルソナ的には、何がいいことで何が悪いことか学べません。親の感情に、一貫性がないからです。また、人を信じることも困難になるし、いつまた脅威が来るかと、臆病にもなるかもしれない。

そしてこれが、大人になって反動として現れることがあるのだという。

満たされなかった子どもが、周りの人間をコントロールしないと気がすまない大人になってしまう。

しかしそれは、自分を守るための手段。人に与えられ満たされた経験がないので、自分で先に動き、周囲をコントロールしようとしてしまうのです。

が、人間はコントロールされることを嫌うので、そういった態度は拒否される。結果、このタイプも得たいものは得られず、満たされない感覚とイライラに悩まされることになります。


親に問題がある場合、もう一方の親は、どうしているのだろうか?

もう一方の親は、協力者になっている場合が多いのだという。

その人も被害者で、本当は迷惑を受けている。にもかかわらず、問題行動は止めない。むしろ、協力する。(アルコール中毒でいえば、アルコールを勧める)

これは、文句を言いながらも相手の問題行動を促しているわけで、問題の後処理をすることを自ら引き受けている状態。今の人間関係の存続を、望んでいる。つまり、これも共依存の関係です。相手の面倒を見ることが、自分の存在証明になっている。

ということは、この人は、問題ある人が問題ない人になることを、実は望んでいないことになる。自分が助ける人であるためには、相手が助けを必要としている人でないと困るから。

なのでこのタイプは、あの人はしょうがないと言いながら、その人が自立しだすと、本人が病気になってしまうのだという。この助けたい対象は、パートナーである場合もあれば、子どもである場合もあるでしょう。



問題を解消するには、どうしたらいいのでしょう?

それは何であれ、その問題を認めることから始るのだと思われる。それを事実だと認め、そこからやり直したり、助けを求めたり、治療を始めたりする。

今回の最初は、「事実の否定」でした。ということは、その時点で蹴つまづいているわけです。

そして、そこから脱するのが、どれだけ難しいか。例えひとりが気づいたとしても、その他の人が認めるかどうか。

この事実は、重いものを投げかけてきます。

つまり、例えあなたが気づいたとしても、相手は認めないかもしれない。例えあなたが変わったとしても、相手はいっこうに変わらないかもしれない。

でも、それでいいのだと、本には書かれています。


P110にある、作者の言葉を紹介しましょう。

自分の人生を自分の手に取り戻すためのカギは、そのような親を変えなくても あなたは 変わることができるのだと自覚することだ。あなたの幸福は、あなたの親がどんな親であるかによって左右されなければならない理由はないのである。



ただ、カウンセリングの技法などを見ていると、来談者をきっかけにし、全体が変容していく様子がうかがえるのも、また事実ではあります。

理想としては、全員が変容するのが望ましいのでしょう。




次回に続く…




<チェックシート>

・親を傷つけないようにと、気を遣いすぎてはいないか?
・親に人生を喰われてないか?

(分かりにくい場合は、どこかの誰かがそういう状況におかれている場面を想像してみてください。そして、何か助言したくなったら、心の中で、声をかけてみてあげてください)










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