『鬱(うつ)と平等、お互い様の関係』
平等な関係があれば、うつ病にはならないのだという。
(うつ病のメカニズム 扁桃体と平等/NHKスペシャル)
完全に平等でなくても、ほどほど<お互い様>の関係があれば、うつ病にはなりにくいというわけです。
意外かもしれませんが、平等を阻害する要因に、「怒らないこと」があるようです。怒らない、あるいは、怒れないこと。
平等じゃないということは、そこに「一方的な関係」があるということ。そのカタチは様々ですよね。「言われっぱなし」「やられたい放題」「してあげるばかり」等々。
ある程度健全な状態であれば、それを認識できます。認識して、抗議したり、それが無理なら離れたりと、いろいろと対応できる。対応できないまでも、誰かに相談するとか。
逆に、認識できないと、抗議することも、離れることもできません。あまりよくない現状維持が続いてしまいます。
第三者的な視点で見たら、「一方的だな〜」と思える。そんな時でも、本人は気づかないことが、現実にはよくあります。それが当たり前だと思っていたり、時には、よいことだと信じている場合も。また、自分が悪いからと、罪悪感を抱き続けている場合だってあるようです。
この時、チェックしてみるといいのが、<お互い様かどうか>。
一方的じゃないだろうか?
同等な関係だろうか?
あなたのためだからと、要求ばかりされてないだろうか?
こちらの言い分や要求は、聞いてもらえているだろうか?
一方的にからかわれたり、傷つけられてはいないだろうか?
一方的に、気を遣わされてはいないだろうか?
身体的な症状がある場合、離れることで気持ちが落ち着いたり、症状が軽減することは、ないだろうか?
時に、やさしさや道徳、規範などが、こういったことを見えにくくしてしまうようです。これらは、基本的にいいもの。けれど、時に、ズルい人が、これらを都合のいいように使ってしまう。
それを利用して、不平等な要求をする。一方的にひどいことをしておいて、怒るなと言ったりする。抗議しにくい空気を作る。
それが長く続くと、心身ともに疲労し、うつ病にもなるというわけ。何であれ、長期間、負荷をかけ続ければ、そうなるのも当たり前ですね。
うつ病になるということは、長い間、不自然な状況にあるということ。長期間、ストレスにさらされているということ。なので、まずはそれに気づき、その状況から離れたり、状況そのものを改善することが必要になります。
でも、困ったことに、やさしさや真面目さなどが、悲しいかな、目を曇らせてしまうようです。しないでいい我慢を、自分に強いてしまう。
荷物が重いなら、下ろしていいんです。
寒いなら、服を着ていいんです。
つらいなら、逃げたらいいんです。
ひどいことをされたら、怒って当たり前。
それを悪いことであるかのように言う人もいるけれど、そんな人はろくに話を聞いていないか、見る目がないか、(何らかの原因で)そこにある本当のことを理解するわけにはいかない人なんでしょう(それはそれで、事情があったりするわけですが…)。
さあ、もう、つらいことはやめにして、楽になりましょう。
平等な関係、お互い様の関係。
それを目指せばいい。
部分部分は揺れても、おおむねそうなっていたら、それでOK。
そんな素晴らしい<お互い様>も、使い方を間違えると、たいへんなことに。
一方的な要求として使われてしまうと、台無しですね。
お互い様ということだから、互いの心があって初めて成立するようです。
<お互い様の例>
「困った時は、お互い様」
困った時は、声を上げればいい。
そうすれば、助ける余裕のある人が助ける。
また、自分が困った時は、助けてもらう。
助けてもらうことに、罪を感じることはない。
助けることもあれば、助けられることもある。
それが、お互い様。
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