第10回『考えと感情と行動のチェックリスト』
自己を絡め取られる子どもたち
良好な関係には、適度な依存があるといいます。自立する、つまり、自分でやると共に、どこかでは人を頼る。ある意味では、甘える。すべて自分でやるならそこに人との関係はないわけで、人と関係するということは、どこかで人に頼っている、依存していることを意味しているのです。
このように、人は互いに影響し合うものだし、特に身近な存在である親子関係では、その影響は強いと思われます。
ただ、ものには限度があります。毒になる親に育てられた子どもは、親に自己を絡め取られるという。そのため、自分が望む人生を、なかなか生きられません。もちろん、健全な家族であっても、子は親の影響を受けるでしょう。揉め事だって、起きるかもしれません。ところが、この場合、親の影響や感情の絡み合いが、許容範囲を超え、異常なレベルにまでなってしまうのです。
親に自己を絡め取られる形態は、大きく分けて、2つあるという。1つは、親の気持ちが優先され、それを満たすために、子が言いなりになるもの。これが習慣化してしまうと、子どもは自分の感情や要求を出せなくなってしまう。あるいは、それに気づくことさえ、難しくなるかもしれません。
もう1つは、まるっきり逆で、反抗という形で現れます。これも実は、自己を絡め取られた状態。それは、自分の望んだことではなく、親の影響から生まれた反抗なのです。上の従順さと方向が真逆なだけで、もとは同じです。親に対する反応として、それは生まれている。自分の欲求から生じたものとは、少し違います。
これはまるで、強い風と風見鶏の関係。親の要求が強いため、子どもは服従するか反抗するかしか、できなくなります。強い風に吹かれた風見鶏が、風の方を向くか反対を向くかしかできないのと同じですね。風が強いので、ちょっと向きを変えるということができないのです。
(参考記事:「(15) 180度の変化、風と風見鶏/こころの処方箋│河合隼雄文庫」)
健全な関係において人は、手を手を取り合っている。それも、いつも つないでいるというよりは、時に手をはなし、時に手を握りと、適度にくっついたり離れたりするのでしょう。ひとりでいることもあれば、寄り添うこともある。
では、自己が絡め取られる関係はというと、それは例えば、羽交い絞めにされるような状態。あるいは、覆いかぶさられるような状態。強く引っ張られたり、引きずり回されるような状態。つまりは、自分の好きにはできない状態。相手の好きにされてしまうような状態です。
親にどれほど自己を絡め取られているかは、「ものの考え方」「感情」「行動」の3つについて調べれば、すぐに分かるといいます。
ここからは、それについて、順番に見ていきましょう。
考え(信条)のチェック
これまで、毒になる親の子は、「間違った考え」に支配されがちだということを学んできました。そしてそんな考えは、「ネガティブな感情」と「自滅的な行動」に結びついてしまうという。
なので、まず、その考えが間違っているということに気づくのが、大事になります。
<親との関係における考え方のチェックリスト>
P208には、このようなチェックリストが、(1)から(16)まで掲載されています。
(1)〜(6)
これは、親に寄りかかられたり、しがみつかれている様相を示しています。
自身が日々抱いている思いがあるかどうか、チェックしてみてください。
・親は子どものすること次第で、幸せになったり、不幸になったりすると思う。
・親は子どものすることを誇りにすることもあれば、逆にすごく恥だと思うこともある。
・親は子どもを、まるで人生の全てであるかのように思っている。
・もし、子どもがいなくなったら、親は生きておれないのではないかと思う。
・子どもも、親なしでは生きておれないと思う。
・もし本当の気持ちを話したら、親は寝込んでしまうだろう。
上の「子ども」を、「私」と置き換えて自問すれば、分かりやすいかもしれません。
上のようなことは健全な家庭でも少なからずあることですが、程度を超えると、自己を絡め取られることになります。そういう思いが強すぎて、身動きが取れなくなる。
(7)〜(10)
ここには、関係を切られる恐怖がある。
・親の意向に逆らったら、縁を切られるのではないかと思う。
・本当の気持ちを伝えたら、きっと絶縁されてしまうだろう。
・親を傷つけるようなことは、言うべきではない。
・自分の気持ちより、親の気持ちを優先するべきだ。
(11)〜(16)
ここには、あきらめと共に、複雑な感情が。
・親と話しても、意味はない。どうせ、どうにもならない。
・親さえ変われば、もっと気分はよくなるのに。
・自分が悪い子どもだったんだ。(全部、自分が悪い)
・子どもの気持ちさえ伝われば、親も態度を変えるだろう。
・どんな親にでも、敬意を払うべきだ。
・親にコントロールされてなどいない。いつも闘っているのだから。
これらの考え方は、すべてネガティブなものであり、自分をダメにする考え方だという。独立を困難にし、支配され、いちいちエネルギーを奪われてしまう。
毒になる親の特徴について、スーザン・フォワードさんは こう書いています。
共通していることは、彼らは自分の不幸や不快な思いを他人のせいにするということである。そしてその対象にはたいてい子供が使われる。
(P209)
これを受けて子どもは、親が不幸なのや不快な思いをしていることに、責任を感じてしまうという。ということは、子どもは親を幸せにでき、不快な思いから解放できると信じ込んでいることになります。
でも、それは本当なのでしょうか? そしてそれは、そうしなければならないことなのでしょうか?
自分のすることで親が落ち込んだり泣くとしたら、子どもはそれを止めなければならないのだろうか? もちろん、犯罪や社会秩序に反することについては、そうすればいい。でも、学校を選んだり、就職したり、友達やパートナーを選んだり、そんなことについても、そうなんだろうか?
親を傷つけないために、すべてをあきらめねばならないのでしょうか?
それは結果として、親にも返ってくるという。いくら意識しなくても、抑圧は、不快感や怒り、嫌悪感などを生むのです。そしてそれらは、親子関係に影響を与えることになる。ある時期までは我慢できても、いずれは容量を超えてしまいます。
人生の選択に際し、いつも親の気分を考慮すべきなのだろうか? 考えること自体は悪くないのですが、それは<いつも>そうあるべきなのだろうか? 最優先事項なのだろうか?
いったい、誰が生きているのでしょう? それぞれの<わたし>でしょうか? それとも、親なのでしょうか? 人生を選んでいる それぞれの<わたし>は、どんな状態なのでしょう? 比較的自由でしょうか? それとも、がんじがらめなのでしょうか?
感情は、反応です。汚いものを見れば、たいてい気分が悪くなる。過酷な状況に置かれれば、体だけでなく心も疲れる。そして感情は、考え方からも生じます。外部からの反応として生まれることもあれば、考えにより内部から生まれることもあるのです。
例えば、タブー(禁忌)に抵触すると、罪悪感が生じる。それ自体は間違いではないのですが、問題は、「それは本当にタブーなのだろうか?」ということ。それは本当に悪いことなのだろうか? してはならないことなのだろうか? ということです。
間違った考え方により、本来背負わなくていい罪悪感で苦しんではいないだろうか?
間違った考え方が生んだ感情に、やられてはいないだろうか?
考え方 - 感情 - 行動は、つながっているといいます。
では、引き続き、感情と行動についても、見ていきましょう。
感情のチェック
どんな人でも、親に対しては強い感情反応が起こるのだという。つまり、それ自体は普通です。ただ、それをある程度自覚している人もいれば、そうでない人もいる。後者では、意識しないこと(無視すること)で、自分を守ろうとします。
例えば、抑圧や逃避であっても、自我を守ることには意味があります。でも、それだけでは現状が変わらず、苦しみ続けるだけなので、やがて意識することが大事になってくる。というか、そうせざるを得なくなってしまいます。
そこで、自分の感情について、チェックしようというわけです。とはいえ、前述のように、誰もが親に対しては強く反応してしまうもの。そこで、自分の感情がどうも自覚しにくいという人、あるいは、拒否反応が強い場合、そんな時は、あえて、他人事にするのもいいといいます。すなわち、自分の親と同じような親を持つ人がいたら? と想像してみるのです。まるでドラマでも見ている感じで、まずはそれを手掛かりに始めてみる。
ここで大切なのは、急がないことだといいます。しまっておいた感情が出てくるので、どうしても落ち込んだり、不快感が出てきたりする。触れたくなかったものに、触れるわけですからね。
結果を急がずに、ゆったりと構えるのが大事。「よくならない」と思うのではなく、「よくなる過程」だと思う。急ぐとイライラするので、急がない。時間は当たり前にかかるものだと考えましょう。
<親との関係で生じる感情>(P213)
[罪悪感]
・親の期待通りにできないと、罪悪感を感じてしまう。
・親の気分を害するようなことをすると、罪悪感を感じてしまう。
・親の言うことに従わないと、罪悪感を感じてしまう。
・親と言い争いをすると、罪悪感を感じてしまう。
・親に腹を立てるだけで、罪悪感を感じてしまう。
・親を落ち込ませてしまうと、罪悪感を感じてしまう。
・親のために頑張ってないと、罪悪感を感じてしまう。
・親の言いつけをすべて守らないと、罪悪感を感じてしまう。
・親の言うことを拒否すると、罪悪感を感じてしまう。
[恐れ]
・親に大声を出されると怖い。
・親に怒られるのは怖い。
・親に対して腹を立てるのが怖い。
・親が怖れているであろうことを(親に対して)口にすることが怖い。
・親が愛してくれなくなるのが怖い。
・親に口答えするのが怖い。
・親に対し、反抗するような行動をとることが怖い。
[悲しみ]
・親が喜んでくれないと悲しい。
・親が落ち込んだら悲しい。
・親の生活をよくできないと悲しい。
・自分が原因で親の人生がダメになったと言われたら悲しい。
・自分の思うように生きることで親が傷ついたら悲しい。
・自分の好きな人を親も好きになってくれないと悲しい。
[怒り]
・親に文句を言われると腹が立つ。
・親にコントロールされると腹が立つ。
・親に人生についての指図を受けたら腹が立つ。
・親にいちいち口出しされたら腹が立つ。
・親にああしろこうしろと言われると腹が立つ。
・親から要求されると腹が立つ。
・親が自分(子ども)を代替えにして人生を生きようとしたら腹が立つ。
・親を世話するのが当たり前だと言われたら腹が立つ。
・親に拒否されたら腹が立つ。
これらは一部、分かる部分があると思います。人間の素直な反応だとも言えるでしょう。
ただし、あまりに多かったり、あまりに強いと、重荷になるようです。
一応の目安として作者は、リストの1/3以上がイエスなら、親に心理的に絡め取られている度合いが強いのではないかと言っています。
つまり、感情が親に左右されていると。
さらに作者は、「感情」と「考え方」の結びつきをチェックすることを勧めている。
例えば、感情のチェックリストの中で、自分に当てはまるものを抜き出します。そしてその後に、「なぜなら」と付け加える。そして、その「なぜなら」に続く部分、理由を、考え方のチェックリストから探すのです。
(例)
「親の期待通りにできないと、罪悪感を感じてしまう」
なぜなら、
「親は子どものすること次第で、幸せになったり、不幸になったりすると思う」から。
「親に口答えするのが怖い」
なぜなら、
「親を傷つけるようなことは、言うべきではない」からだ。
「親が喜んでくれないと悲しい」
なぜなら、
「親は子どもを、まるで人生の全てであるかのように思っている」からだ。
「親にいちいち口出しされたら腹が立つ」
なぜなら、
「親と話しても、意味はない。どうせ、どうにもならない」からだ。
マッチするものがなければ、自分の考え方や感情を付け加えるのもありです。言葉を微調整するのもいい。
ともかく、いつも生じる感情が、どのような考え方を土台にしているのか、まずはそこに注目します。
度々生じる感情は、どんなものだろう?
そしてそれは、どんな考え方から来ているだろうか?
我々は、感情をどうにか抑えこもうとしたり、コントロールしようとするところがあります。
でも、そうしたいなら、まずはその感情を引き出している考え方に注目するのが第一歩というわけです。
行動のチェック
考え方が、感情を引き出す。そして今度は、その感情が行動を起こさせます。
この行動のパターンには、2通りあるという。
<親との関係における行動のパターン>(P218)
[服従]
・自分の気持ちは置いておいて、親のいうことに従う。
・自分の考えは、親には伝えない。
・自分がどう感じているか、親には言わない。
・親とうまくいってないのに、うまくいっているかのように装う。
・実は表面上 親に合わせているだけで、それは本当の自分ではない。
・自分の自由な意思で決めることは少なく、後ろめたい気持ちや怖れから行動する。
・親を変えるべく、一生懸命 努力している。
・自分の気持ちを理解させようと、一生懸命 努力している。
・両親がケンカしていると、よく仲を取り持とうとする。
・親を喜ばせるために、よく自分を犠牲にする。
・いつも自分が、家の秘密を守る役割を担う。
[反逆]
・自分が正しいことを証明するため、いつも親と口論する。
・自分を生きるために、わざと親が気に入らないことをする。
・親にコントロールさせないために、大声を出したり悪態をついたりする。
・親に暴力を振るわないようにと自制しなければならないことがよくある。
・既に我慢が限界を超え、親とは縁を切っている。
服従であっても、反逆であっても、子は親から大きな影響を受けているというわけです。
自己を親に、絡め取られている。
一見、反逆は自分の意思のように見えますが、本当は「そうさせられている」のです。
したくてそうしているわけではない。
方向が真逆なだけなんですね。
考え方が感情を生み、感情が行動を生む。
人間は自分の意思で行動しているつもりでも、案外、何らかの影響を受け「そうさせられている」ような場合があるのです。
いつも、どうなっているか? どんなことをしているか?
いつも、どんな感情が生じているか?
その奥には、どのような考え方があるか?
そういうことを見つめることで、だんだんと親との関係が見えてくるでしょう。
成人した人間は本来、自分の意思で生きるものです。もちろん人の影響――特に家族の影響――は受けるものですが、それに支配されることはない。でも、毒になる親を持っている子どもは、その強い影響力により、人生を絡め取られてしまうのです。
本の中で紹介されている女性は、いつになったら親がこの問題を理解し、態度を変えてくれるのかと、ずっと思っていたそうです。彼女がまず気づいたのは、この点でした。親が変わるのを忍耐強く待っている自分に気づいた。
けれど、さらに気づいたという。おそらく親はもう、変わることはないだろうと。でも、作者であるスーザン・フォワードは言います。親は変われなくても、子どもは変わることができると。
それに気づく第一歩が、自分を支配しているもの、自分をがんじがらめにしているもの、それに気づくことだという。そしてまずは、有害な考え方と自滅的な行動を修正していくことから、チャレンジは始ります。
次回に続く…
<チェックシート>
・親の言いなりになってないか?
・逆に、何でも反抗してしまってはいないか?
・親を全面的に保護しようとしていないか?
・親のために、多くをあきらめてないか?
・感情を、親に左右されていないか?
(多くのことについて、親からの影響を受けすぎていないか?)
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