『ストレスのパターン』
毎日毎日ストレスに晒(さら)されていると、人は疲弊します。うつ病の原因も、それだと言われている。一方的に要求ばかりされているとか、一方的に傷つけられているとか、一方的に気遣っているとか。そういった「平等でない関係」が慢性化していると、うつになってしまうという。
では、親子関係においては、どのような「ストレス源」「一方的な関係」があるでしょうか?
<(03) ストレスのパターン>
[いちいち否定する]
・何気ないことでも、いちいち否定する。
・何にでも、ダメ出しする。
・すべてを悪い予想につなげる。
何でも指さして、否定する。結果はすべて、悪口。そんなことが続けば、ウンザリして当たり前。同じように悪口を言うか、見えないところで傷つくか、その二択になりがちです。
幼い頃から批判に晒され続けると、当然、自己肯定感を得られません。「わたしなんて…」と、自身を否定的に見てしまう。それが対人関係に影響を与えることも。
それが子どもに向かない場合でも、いつも近くで否定的なことや悪口を聞かされれば、ウンザリして当たり前。
「過干渉」
・いちいち口出ししてくる。
・許可なしに、個人的な空間に立ち入ってくる。
大人になっても干渉してくるということは、相手をひとりの主体的な人間として認められていないということ。逆に、子どもの意思や自我を否定し、自分の思うままにコントロールしようとしているということ。
よかれと思って、精神的な虐待を加えてしまっている。(そんなつもりはなくても、結果的にそうなっている)
子が親や家族から離れることが、たまらない。独り立ちすることに、耐えられない。そういった親の感情の問題ですね。どんな建前で武装しても、「子どもの人格を認めていない」という問題からは、逃げられない。
心配を口実にするにしても、それで相手を追い詰め苦しめているなら、本末転倒です。
「笑いものにする」
・度々、嘲笑する。
・いちいち、バカにする。
これも、毎度毎度となると、ウンザリして当たり前。同じように何でも嘲笑する者となるか、それをひどく嫌う人間になるか、二択になりがち。自己否定につながり、大人になって苦しむことも。
「ゆるさない」
・子どもの自由をゆるさない(ゆるせない)。
この逆もあって、「子どもは自由であるべきだ」という信条を強く持ってしまうと、「子どもが自由でないことをゆるせない」となることも。子どもがいつでも、どこでも、自由でなければゆるせないので、ちょっとでも不自由があると、激昂してしまう。
まるで自由教の狂信者で、考えの支配が強すぎて、正常な判断ができない状態。
どちらにせよ共通するのは、「子どものため」と思っていることと、実際に「子どものためになっているか?」というのに、ズレがあること。というか、その確認をしないこと。また、子どもの感情を無視しがちなこと。
子どものためを思って、子どもを傷つける結果に。
「気遣うことができない」
・相手が怒っていることを、察することができない。
・相手が嫌がっていることを、察することができない。
・相手が悲しんでいることを、察することができない。
・イライラさせることを、いつまでも繰り返してしまう。
・避ければいいのに、避けることができない。
そこにあるのは「連続」と「繰り返し」。どんな小さなことも、毎度毎度となると、蓄積して大きなダメージとなります。
これらはある意味、「間違った気遣い」でもある。相手のニーズを無視し、自身の考えを中心に気遣い、結果として相手を怒らせたり、傷つけたりします。「思っていること」と「実際」にズレがあることを、確認できていない。そういう意味では、認識のズレとも言える。
「無神経さ」
・無神経なことをしておいて、「何が悪いの?」と言う。
つまり、相手のことなんか考えないということ。
相手の気持ちを察することができる人は、「場合場合」で対応を変えることができます。「今は止めておいた方がいいな」と思う時は、ちゃんとブレーキをかけることができる。
「いつ」「どこで」「誰に」「どんなことを」、この組み合わせにより、生じる結果は変わってきます。当然、相手の感情もいろいろになってくる。それが理解できません。
◇
このような失敗は、ある意味では、誰だってやってしまうこと。問題は、「執拗(しつよう)にそれを続けること」ですね。つまり、「修正できないこと」。
これが第1回の「なぜ人は絶望するのか?」につながってきます。
上で挙げた例は、家族内だけではなく、広く世間にも言えますね。
どちらにせよ、毎度毎度だと、ウンザリさせられてしまう。
近しいと、傷つけられることも。
修正されないというのは、大きな問題につながることが多い。
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