『理想的な関係』
前回は、「変わることのない相手に期待しても仕方ないこと」を学びました。それはそれとして、今回はどんな状態が理想的なのか、見ていきましょう。
<(05) 理想的な関係>
[対等・お互い様の関係]
互いに優劣の差がない状態。この辺は勝ち負けにこだわらないことにも、つながってきますね。助けることもあれば、助けられることもある。そんな一方的ではない関係。
(相手の主体性を認めることも、含まれます)
この関係があると、うつ病にはならないといわれる。
→ 「うつ病の原因と対処」
[自分自身を生きた上で、助け合う]
相手への強要、支配、干渉などの背後には、「自分自身を生きていない・生きることができていない」といった布置があるようです。不要な我慢を強いるのは、「わたしだってそうだった」というのがあるから。しかし、相手に強いるよりは、自分自身が自由になる(解放される)方が、建設的です。
こういうマイナスのループは、何世代も続いている場合が多い。それを脱するにはエネルギーが要るけれど、誰かが最初にやらないと、永遠に続いてしまいます。
河合隼雄先生がよくおっしゃってますけど、「その問題がふりかかるということは、解決する可能性をその人が秘めているから」ということ。可能性が実際に開花するまでは すごくつらいけど、ある意味では、何らかの「その時」がやっと来た、ともいえるのです。
[ちょっと譲るだけでも、事態は好転する]
今まで譲ってきた人、我慢してきた人には、必要ありません。逆に、今まで譲ることがなかった人が譲るようになると、事態は好転しはじめるということ。
それこそが「気遣い」。再生のカギです。ただし、一度や二度の気まぐれでは、効果は望めません。
[整理する]
グチャグチャになっているのを、整理する。
(1) 何をされたか?
(2) その時、どんな気持ちになったか?
(3) どんな影響が出たか?
(4) どうしてほしいのか? どうなりたいのか?
相手に訴えかける時も、これを整理しておく。
[勇気]
本心を伝えると、相手は傷つくかもしれない。でも、それ以上に、あなたは傷ついてきた。
無用に傷つけるわけではありません。相手の荷物を、相手に返すだけ。今まで、背負わないでいいことまで、背負ってきたのだから。
基本はそれぞれ自分のものを背負い、それでいて余裕がある時だけ、助け合えばいい。お互い様精神を忘れずに。
不要な罪悪感とは、サヨナラする。
[注意点]
・カテゴリによる混同をせぬこと。
何かをした(された)のか? その相手は、あくまで個人。それを拡大しないこと。それをしたのが男(女)であったからといって、男(女)のすべてがいつもそうするわけではありません。
男なんて、女なんて、父親なんて、母親なんて、先生なんて、生徒なんて、若者なんて、年寄りなんて。そういった混同で、必要以上に身構えない。全員が全員、そうするとは限りません。
基本は、個人がどうしたか。しなかった人まで非難する必要はありません。怖れや憎悪などを、全体にまで広げることはない。それをすると、生き辛さにつながってしまいます。対人関係にも、影響を及ぼしてしまう。
個人を特定することは つらいことでもありますが、それをしないことで、カテゴリごと怖れ、うまく生きることができなくなる場合も。不要な敵を、作ってしまうんですね。
また、個人に対しても全部を恨んだり非難する必要はなく、「問題ある部分」だけに絞ればいい。全人格を否定するよりは、問題ある事象の1つ1つを掘り下げる方が建設的です。
[影響を受けない例]
例えば、基本的に バカにされると嫌な気分になりますが、そうはならない時がある。どんな時かといえば、「自分がバカではないことを明確に知っている」時です。
確かに、天才というわけではない。けれど、決してバカではないと確信できる。そんな時はバカにされても、「あの人は何を言っているの?」となるだけです。
それはまるで、黒髪の人を指さして「金髪だ!」と言っているようなもの。相手はウソをついているか、正しく物事を見ることができていないだけです。なので言われても、「?」となるだけ。
ここで問題なのは、子どもが「疑いを持たされている」ことです。度々否定され、ダメな子だと思わされている。ワガママ、自分勝手だと、思い込まされている。そんな疑いや罪悪感を植え付けられているので、平気ではいられません。
「わたしはわたしで大丈夫」「I am OK!」「生きていいんだ」という感覚は、基本的信頼によるもの。そして、それを与えるのは親なのです。
→ 「エリクソンのライフサイクル」
悲しいかな、それを得られてないのなら、取り戻すしかありません。間違った認識、認知の歪みを正し、本当の自分を取り戻すこと。
家族や親から受け継いだ負の遺産は、もう返しましょう。そして、あなた自身を回復するのです。
自立とは、家を出ることや離れて暮らすことではありません。ここでいう自立は、支配から離れ、1つの主体として成立すること。
支配とは、特定の人からの支配だけではなく、考え方なども含めた、自分を束縛するものからの影響。そのようなものから脱却して、自分の意志で行動できるようになることが目標です。離れて暮らしたり、反発したりしていても、それが相手に影響された結果なら、支配は続いている。
なので、やはり大切なのは、「自分自身を大切にすること」になります。相手が認める認めないにかかわらず、まず自分自身を認めること。
Take care of yourself.
体だけじゃく、心も含めた、人間総体としてね。
<<「第4回 戦うことをやめる」
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