【城太郎日記】ユング心理学・カウンセリング


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このページでは、「やさしいユング心理学講座 第三章 コンプレックス」を紹介します。
第2節「心の壁と自我の防衛機制」


【第三章 コンプレックス】




前節では、コンプレックスとはどういうものか、学びました。

今回は、自我とコンプレックスとの関係に注目しながら、話を進めます。





2.心の壁と自我の防衛機制




【心の壁とコンプレックス】


前述の通り、コンプレックスというのは、自我の統合性を乱す存在です。自分のことがうまくコントロールできなくなったり、意識しない感情に振り回されたりする。

前節の後半で、コンプレックスについて二つの傾向を挙げました。それは、「自我によって受け入れがたかったため抑圧された経験」と、「その個人の無意識のなかに内在していて、いまだかつて意識化されたことのない内容」です。

前者の場合、「自我によって受け入れがたい」とあるように、それはある個人が明確に意識するには重過ぎるものであるため、意識化されません。後者においては、まだ出会っていないので、「いまだかつて意識化されたことのない内容」となっている。

どちらにせよ、自我には意識されていないんですね。そして、その割には、大きな力を持っていたりする。はじめは小さな核なのですが、同じような感情を伴なう体験が絡みつき、どんどん大きくなる。大きくなって、感情を乱し、そのうち、意識にまで影響を与えるようになります。

その影響により、自分のことがコントロールできなくなったり、意識してない感情に振り回されたり、不思議な失敗をしてしまったりするのです。ある特定の状況になると、途端に無意識下のコンプレックスが活性化され、意識に影響が出てくる。



何故、こういう不可解な現象が起こるのかというと、それは見えない領域からの影響を受けるからです。自我が意識していない部分の影響を受けるから。

何かしらの影響を受けるにしても、それを自我が把握しているなら、「ああ、だからか」と納得がいきます。困るにしても、理由がある。

しかし、コンプレックスのメカニズムを考えると、それは自我が把握できない領域からの影響ですから、「ああ、だからか」とはならないのが分かるでしょう。逆に、訳が分からず、混乱する。「なぜ?」と、なってしまいます。

仮に、心の中に「壁」が存在するとしたら、コンプレックスに関係するものは「壁の向こう」にあり、こちらからは見えないのです。その見えない領域から、何らかの影響を受ける。

その「壁」について改めて考えてみると、重い経験をした時などは、そういうものは思い出したくもなく、見たくもないので、壁は高く、厚く、強固なものになります。そして、高く厚く、強固な壁が出来上がれば、向こうのことは全然見えません。ま、見ないようにするために作ったのですから、それも当然ですね。

ところが、壁の向こうにあるものは無くなったわけではないので、困ります。無くなったわけではない上に、重い体験なだけあて、強い影響力を持つ。しかも、似通った感情まで吸収するので、その影響力はどんどん強くなる。まるでブラックホールです。

だから、そのうち高い壁を越えて、自我にまで影響を与えてきます。

こういうメカニズムが、コンプレックスにはあるんですね。

で、この壁があることによって、いろんなことが起こります。それがほどほどの壁なら問題ないわけですが、何かの事情で強固な壁が築かれてしまうと、短期的には心の安定が守られるのですが、長期的にはいろんな問題が生じてくる。壁があることで、いろんな影響が出てくるのです。さまざまなカタチで…。




【自我の防衛機制】


上では分かりやすいように「心の壁」と表現しましたが、その働きといえば、あまりに重たいものを意識しないようにすることです。心的負担の大きいものを、隠すこと。

これって、大事なことですよね。生きているとショックなことは多少なりともありますが、あまりにショックが大きいと危ない。人間というものが、ぺしゃんとつぶれてしまいます。あるいは、自我の安定が保てなくなる。起こってしまった体験は、ショック体験であろうとなかろうと消せませんが、いちいち思い返してショックを受けていたのでは、心身ともにもちません。大きなダメージを受けてしまう。

こういった事態を避けるためのメカニズムが、人間には備わっているのです。ある種の電化製品などが、高電圧・高電流・高負荷な状態になった時に、自動でOFF状態になるように、人間にも大きすぎる負荷を逃がすための、メカニズムが備わっています。映画などであまりのショックに気絶する場面があったりしますが、あれと同じです。一回OFFにした方がいいことも、世の中にはあるんですね。

ただ、毎度毎度OFFにするのもたいへんで、電化製品など、ON→高負荷→OFF→ON→高負荷→OFFを繰り返していると、回路が焼き切れます。そして、人間にも同じことがいえる。

だから、壁が登場することになります。壁はあくまで例えですが、強固な壁を作ることで、負担を避けるのです。自我に負荷を与える対象を、遮断する。見たり考えたりするだけでダメージを負ってしまいそうなものを、壁の向こうに追いやり、意識しないようにする。そうやって、心の安定を図ろうとするんですね。

このように、こういうメカニズムは人間には必要なものです。人間の心を守ってくれるもの、心の保護装置。ところが、短期的にはそうでも、長期的には別の問題が出てきたりする。世の中、いいことばかりのものは、そうそうありません。功罪併せ持つものです。ある時期にはよくても、また別の時期では、違った意味を持ってしまう。ここでは、意識しない、見ないために、いろんな問題が生じてきます。



その辺のことを心に留めながら、人間に備わっている防衛の機制(メカニズム)について、見ていきましょうか。

それは「防衛機制」(defense mechanism)と呼ばれるものです。防衛機制の一般的な意味合いは、以下のようになります。

【防衛機制】

不安・葛藤・フラストレーションなどから自己を守ろうとして働くさまざまな心の仕組み。 投射・退行・抑圧・昇華・合理化など。適応機制。

(三省堂「大辞林」より)




人間は見えない領域でいろんな手段を使って、己を守っているんですね。心が大ダメージを受けないように、意識しない部分で、いろいろと働いていてくれるのです。

人間の体を考えても、意識しない部分が働いていて、人間の活動を維持してくれているでしょ。呼吸、消化、体温維持、その他もろもろ、いろんな機能が、意識しなくても働いていて、そのおかげで我々は生きていけます。

それと同じようなことが、心の方でも行なわれているのです。心を潰してしまわないような配慮が――まるで、そういう器官があるかのように――備わっているんですね。

では、それらについて、少しだけ見てみましょうか。



[抑圧]

まずは、抑圧というもの。これは一般にも使われる言葉ですね。言葉の通り、「無理におさえつけること」です。心理学的には、「不快なものや負担の大きなものを、無意識におさえつけ、意識にのぼらないようにすること」。

心的な負担が大きいものは、抑え付けてでも、意識しないようにします。あるいは、罪悪感を感じるようなものは、抑え付けてでも、考えに上らないようにする。それによって、自我の安定が保たれるのです。負担の大きなものをいちいち考えたり見たりしていては、身も心も持ちません。あるいは、いちいち罪悪感を感じていたら、心の安定が乱されてしまいます。

が、しかし、問題も生じます。例えば、抑圧するにしても、負担が大きい「それそのもの」だけを抑圧するならまだいいのですが、コンプレックスのメカニズムとして同じような感情を伴なったものまで巻き込むでしょ。だから、それそのものだけでなく、いろんなものをも抑圧することになるのです。直接には関係のないものまで、抑圧しなければならなくなる。

前節で述べた「カテゴリ」というものに注目すれば、「それそのもの」を抑圧するだけでなく、「それそのもの」と同じカテゴリに所属する他のものまで、抑圧しないといけなくなる。これはこれで、しんどそうですね。身が持ちません。

また、見ないため、意識しないためにそうするのですから、「それそのもの」を特定することはできません。あやふやにするためにそうしているので、どうしても混同しやすくなる。それそのものだけでなく、広く似たようなものまで、抑圧することになります。このように、多くのものを抑圧するのですから、そりゃ、しんどいです。

そして、抑圧するというのは押入れに物を放り込むようなものなので、そのうち押入れがパンクしだします。見たくないものを、それそのものだけでなく、いろんなものと一緒に押入れに放り込むわけですから、容量オーバーになり、破裂寸前の状態になる。これは危ないですよね。

そして危ない理由は他にもあって、負担を与え続けるものが傍にあるとすると、それを意識しないまま、負担だけが無意識下に抑圧され、いくらでも蓄積されることになる。負担の源が意識されないまま、それに対しては手つかずで、抑圧だけが続いていくことになる。これでは、爆発寸前になるのも道理です。

我々は時に、爆発した現象だけを見てああだこうだ言ってしまいますが、その前段階があることを知れば、そうも言ってられなくなる。それぞれ、事情ってものがありそうです。

これは、この節で用いている例えを使うなら、壁の向こうにいろんなものが放り込まれ、今や、溜まりに溜まったものが、壁のこちら側にまで影響を与えそうになっている状態といえましょうか。あるいは、ブログで書いた、今にも溢れそうな状態。
( ブログ記事:「たいしたことない? たいしたことある?/あふれる水」

短期的には、壁の向こうに隠すというのはアリなんですが、長期的には、別の意味を持ってしまうんですね。



[同一視]

次は「同一視」です。一般的な意味は、「本来、性質などの違うものを、同じものとみなすこと」。心理学的には、「区別のある自分と他人を混同すること」です(「大辞泉」より)。本来自分とは違うはずの何ものかに同化することで、心の安定を得ようとするんですね。

この章で問題としている「見ないようにする」という点に注目すれば、その存在と同じになるか、あるいは、同じ視点を持つことで、対象を見ないですみます。というのは、それに抵抗しようとすると、それをちゃんと意識することになるでしょ。相対する・対決するというのは、向かい合うということですから。逆に、向かい合わずに、向こうにあるそれと同じになったり、同じ立ち位置になると、対決しないですみます。見なくてよくなる。

向かい合って互いに見合うと堪らなくなるようなものも、同じ視点に立ってしまえば、そうではなくなります。影は背後にあるので見えませんが、この場合は、横並びになることで見ないですむ。

しかし、見ないでよいかもしれないけれど、本来自分でないものと同一化・同一視するわけですから、これは問題です。自分が自分でなくなるわけですからね。これはこれで負担や歪みが出そうです。少なくとも、自然な状態とはいえない。

シンデレラを例えに出すと、シンデレラの側に立つと心が痛むのですが、継母やその娘たちの側に立つと、心が痛まないことになります。ただし、「していること」を考えると…。

同一視もまた、心的負担を避けるためのメカニズムです。心が痛むのを軽減するためのもの。しかし、そればかりになると、「していること」によって、問題が生じてしまうかもしれません。例えば、自分に負担を与えている存在と同じになろうとするのですから、その「していること」は…。



[反動形成]

同一視はその存在と同じになるか、あるいは、同じ視点を持つことで、それを見ないようにしました。反動形成では、逆の方向に走ることによって、それを見ないようにします。それを明確に意識化して反対するのではなく、意識しないままに反対の行動をとる。あるいは、意識しないために、反対の方向に走ります。

「大辞泉」によれば、「心理学で、自我の防衛機制の一。抑圧された欲求と反対傾向の態度が強調して示されること。例えば、憎しみの感情に対抗して、反対の甘やかしが生じるなど」とあります。これも「ツンデレ」程度であればかわいげがあるわけですが、程度を超えるとしんどいです。

無意識に抱いているものを打ち消すため、その反対の考えや態度を強調して、抵抗する。愛しているという感情を打ち消すため、嫌おうとする。憎しみを抱いていることを打ち消すため、好きになろうとする。すごく惹かれるのを打ち消すため、無関心になろうと努力する。放り出したい気持ちを打ち消すため、懸命に奉仕する。このように、無意識に抑圧されているものと反対のものが、態度や行動として強調される。

ただ、愛憎というのは、元来、入り乱れるものなのかもしれません。何故かというと、「愛して欲しい」という欲求と「愛されなかった」という憎悪は、背中合わせだからです。あるいは、「愛されてうれしい」というのと「愛されすぎて負担だ」というのも、紙一重だったりします。憎いという感情にしても、関係のない人は憎くなりようがないので、憎いということは、それなりの関係があるということなんでしょう。知らない人のことは「ああ、そう」で済まされますが、知っている人、関係のある人となると、そうもいかない。

反動形成の問題といえば、やはり、「意識化しないために」「打ち消すために」というのが根源にあるところでしょうか。そのために反対に走るということですから、本来必要のないことや、実際には思ってないものが、態度や行動に出てしまう。それも問題ない範囲ならいいですが、自我の統制を乱すくらいになってくると、困る。また、意識化しないのだから、それが何だか分からない。分からないから、対処の仕様がない。捉え違いや混同もしやすい。ますます、こんがらがってくる。

反対に走るといえば、親や兄弟など、身近にいる存在と反対に走る傾向が人間にはありますよね。もちろん、同一視があるように、コピーみたいになるような場合もありますが。で、反対に走る場合ですが、既に述べたように、ここでは問題が意識されないまま、ただ反対に走ることだけが強調されるので、問題は複雑化します。だって、「反対に走る」ことが目的になっているようなものですから。

問題を意識化しどうこうしようとするのではなく、問題を意識化しないまま――あるいは、意識化しないために――反対に走るので、それは単に、逆のことをするだけになるのです。

こういうのも一過性のものとしてはアリなんでしょうけど、いつもそうだと、本質を見失ってしまいます。また、意識化しないことで、程度を外れてしまうこともあるでしょう。



[投影]

「投影」とは、「心理学で、考え方や行動に心の内面が表現されること。自分の性質を他人の性質にしてしまうこと」です。(「大辞泉」より)

つまり、自分にある問題を他者に投影することで、意識しないようにするんですね。これは「見ないようにするために見る」みたいで、おかしいと思われるかもしれませんが、まあ、「自分のことを見ないようにするために、他者のこととして見る」みたいなことです。

あるいは、意識化しないようにしていても、負担は募っているわけだし、モヤモヤやイライラはしているわけで、そのモヤモヤやイライラの理由付けや捌け口として、投影先が使われるわけですね。つまり、目の前のことに怒っているようでありながら、本来は別のことに怒っていたりするわけです。溜まったエネルギーや感情を、それそのものにはぶつけられないので、別のものにぶつけます。

ただ、そうするにしても、投影先にもそうなるだけの理由があったりするので、ややこしいですね。自分の問題を他者に投影するにしても、投影される方も、同じような問題を確かに抱えていたりするので、この辺は難しいです。(この辺の詳細は、「影」に関するところで、またやろうと思います)

人間は少なからず投影をしているものなのですが、これをある程度意識しながらやっている人もおれば、まるきり意識しないでやっている人もいるようです。

「ある程度意識しながら」というのもおかしな話ですが、防衛機制が心や関係を保つ働きがある以上、それをストレートにぶつけるのは危険なわけですね。で、危険を知る人は、多少遠回りすることもあります。どれだけ意識しているかは別にしても、壊さないように加減をする。あと、投影した問題に取り組むうちにそれに気づく、ということもあるわけで、影の問題と対決するうちに、だんだんと核心に迫るということもあります。

核心に迫るといえば、「投影の引き戻し」という言葉があります。これは、はじめ投影した先をめったくそに攻撃したりするのですが、そのうちに、意外なよい面に気づいたりすることです。嫌って、嫌って、罵って、罵って、している相手の中に、「あれ?」と思うようなよい面を見つける。それによって、一方的にぶつけていた関係に変化が生じるのです。更にそれが進むと、相手に投影していただけの影を、だんだんと自分のものとして考えられるようになるんですね。

こう考えると、投影をすることで見ないようにしていたのに、やがて、投影をしたからこそ見えるようになる、ということになるわけですから、分からないものです。(これについても、次章でもう少し詳しく触れようかと思います)



[その他]

他にも、「逃避」「合理化」「補償」「置き換え」「昇華」などがありますが、それはまた別の機会に書かせてもらいます。





こうして見ていくと、心の保護装置としてあるはずの防衛機制も、長期的な視点では、いろんな問題を生じさせることが分かってきますよね。

現代人はどうも極論に走りたがるので、それなら防衛機制なんて要らないんじゃないかと言われそうですが、それはやはり違います。人間に備わっているメカニズムには、それなりの意味があるものです。防衛機制にしたって、はじめそのおかげで心の安定が守られるわけで、存在する意義はあるのです。ただ、どこかで卒業する必要が生じてくるんですね。

人間だって、そうでしょう? 赤ん坊の頃は何もできず、人にやってもらうことになる。純粋に、守られる存在です。しかし、成長するにしたがって、それだけではなくなってくる。いろんなものを学び、身につけながら、同時に、卒業してゆきます。

これが人間の心の問題にも、いえるんですね。

防衛機制により、我々の心の安定は守られた。しかし、それによってあやふやにされたものがある。意識化されなかったものがある。そして、放置していたものがその引力によって巨大化してくる。その時は、やはり、新しい対策が必要なんでしょう。そこでまた防衛機制を働かせることは、更に問題を巨大化させるようなものです。そうではなくて、別のアプローチで、「それそのもの」と、だんだんとでも、向かい合わねばならなくなるんですね。

コンプレックスと、対決せねばならなくなるのです。





第3節に続きます…










【関連】
表紙の過去ログでコンプレックスについての記事を書いています――

「表紙の過去ログ・目次 シリーズ・コンプレックス」

防衛機制については、こちらでも書いています――

「防衛機制――守護者と壁の役割――」





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