更新記録
RSS を試験的に導入したのですが、トップページの更新など、過去記事の修正では RSS リーダーに反映されないようなので、簡易の更新記録ページを書いてみようかと思います。
もう、2月か。
今年の1月は、寒かったですね。
年末にかけて急に寒くなったので、余計に堪えた。
ただ、2月に入って、暖かくなるという予報も。
暖かくなるのはいいんですが、花粉の飛散量が増えるという情報もあるので、ちと困ったなあ…
と、上の部分を昨日書いたのですが、2月3日節分の今日は、あたたかな日差しが。
洗濯ものがよく乾きそうです。
これで花粉さえなければ、いいのになあ…
E.H.エリクソン「ライフサイクル、その完結」より。
『自我防衛、私と我々、三種の現実(リアリティー)/エリクソンのライフサイクル』
「自我防衛と社会適応」
個人の持つ防衛機制が共有され、集団が防衛機制を持つ面も。
子は親との同一化により同じ防衛機制を使うのか、それとも、同様の危機に対応するために同じ防衛機制を使うのか?
「私と我々」
私が2人以上集まって、我々になる。
そこで“それぞれの私”の感覚を共有するし、共有してこそ、“我々”になる。
「三種の現実」
“ファクチュアリティ”誰もが確かめられる事実。
“リアリティー”意味関連にまで高められたもの。
“アクチュアリティ”人と人、相互関係の中で感じられる現実。
(続きは 当該ページに)
『超自我と伝承される問題/エリクソンのライフサイクル』
“超自我”とは、自我の上位にあって、本能的な衝動などを道徳や良心により抑制し、内面化した倫理基準に従わせようとする存在。
子供の超自我は、両親の超自我をモデルに形成される。
したがって、親から子へと、超自我は脈々と継承され、伝統に近しいものとなる。
超自我は、強すぎても弱すぎても、問題を生じさせる。
個人の問題には、人と人の関係が作用しており、さらにその奥に、超自我が関わっていることもあります。
(続きは 当該ページに)
『シリーズ いやな気分よ、さようなら』
『役割、完璧主義、相手のために、書く意味』
役割にのみこだわると、他の部分が生きられない。
ペルソナ(仮面)の中身の、生身の人間に目を向けることも大事です。
相手のためを思うことも、認知の歪みがあると、自分の感情と相手の感情が、ごっちゃになってしまう。
認知の歪みでは、完璧な自分にこだわるあまり、かえって欠点が目につき、やる気をなくすという困った点も。
認知にしろ、行動にしろ、「実際」が疎かになります。
書くことは意識することにつながる。
それによって、不合理に気づけます。
「自動思考」を書き出し、「合理的な反応」を導きましょう…
(続きは 当該ページに)
『動くことで気分を変える、虚無主義・ぐずぐず主義』
「虚無主義・ニヒリズム」
虚無主義に襲われると、何事にも価値を感じられなくなり、生きる意味を失ってしまう。
そして、やがて身動きがとれなくなる。
極寒の地で薄着でいながら、もう一生あたたまることはないと信じているような、そんなことになってしまいます。
なので、ともかく動く、ということも必要。
「くずくず主義の心理状態」
絶望、無力感、圧倒、早合点、
レッテル貼り、報酬を安く見積もる、
完全主義、失敗・成功・非難や批判への恐れ、
プレッシャーと反発、フラストレーション許容力の低下、
罪と自責の念など…
(続きは 当該ページに)
『生き方のヒント』
2011年02月初めまでの更新。
「キモチ ―自分の気持ち、相手の気持ち―」
「バスや電車の運転手は、慎重に選ばねばならない」
シリーズ「ユング心理学概説」より
「(37) 精神療法(6)―意識する苦しみと意識しない苦しみ―」
「(38) 精神療法(7)―アルス・スパギリカ(錬金術的技術)―」
「(39) 精神療法(8)―最初の関門―」
「(40) 精神療法(9)―能動的想像法―」
大河ドラマ「江〜姫たちの戦国〜」より
「お市と長政、浅井の三姉妹/(第1話 湖国の姫)」
「笑う信長 己の思うまま存分に生きよ/(第2話 父の仇)」
「人間 織田信長、孤高と茶目っ気/(第3話 信長の秘密)」
「織田信長 悪役? 破壊者? 実行者?/(第4話 本能寺へ)」
(詳細は、当該ページに)
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