表紙過去ログ
【2010年01月】
◇「第32回 安定と破壊/コンプレックス」◇
(第1回〜第31回は表紙の過去ログの目次ページからどうそ)
安定を得ても、次なる仕事が待っています。「今まで」を卒業して、「これから」に進まねばならない。
欠けたものを認め、埋めなければならなくなる。
☆
ただ、人間がそれを進んでするかというと、そんなことはないわけです。せっかく安定しているんだから、そのままでいようとします。わざわざ変わろうとは思わない。
ただ、それでいて、心情や状況に変化が出てくるのも事実。
一方では頑なに変わろうとしない人がおり、もう一方では何とか変わろうとする人が出たりする。
また、それにしたってそれぞれは無意識であって、絶対に変わらないぞと誓うわけでもなく、絶対に変わるぞと誓うわけでもない。ただ、よく見てみると、その態度、行動、いわば生き方が、その様相を帯びてくる。
そういう布置が、だんだんと出来上がったりします。
☆
権威者との関係だと、安定を得るまでは、不満はそんなにないのでしょう。むしろ、権威者を中心としてまとまり、頑張る。不平を言いながらも、それを壊そうとはしません。
だいたいが、その前にこそ不満や不足、渇きがあり、それを満たすために、権威者を中心として、みんなで頑張るのです。
そしてやがて、みなの頑張りが実を結び、安定を得る。
そうなると、今度は心情に変化が出るかもしれません。
安定は、得るまでは憧れの対象ですが、得てしまうと、慣れが出てきます。それを当たり前だと思う。
そうなると、権威者に対するもやもやが出てきたりします。
「あの人はいつもそうだ」とか「あの人のここが云々」というのが出てくる。
けれど、そうはいっても安定しているのだし、「権威者がいてくれたおかげ」というものを知っているので、それを壊そうという気にはならない。
また、権威者にしても、構成員に対して不満を感じるようになりますが、それを理由に場を壊そうとは思わない。それよりは、場を壊すような構成員の動きにこそ、不満や怖れを感じる。
ともかく、権威者、構成員、双方とも、せっかく築き上げた場を壊そうとは思わない。
☆
そこで登場するのが、トリックスターのような存在です。
困った人や、問題を起こす人が、出てくるんですね。
それだけの価値と可能性を持った登場人物が生じます。
☆
それは表面的には、問題を起こす人、困った人。世間一般からの評価も低い。
でも、広い視野で見れば、それ以上のものを持っていたりします。使命といってもいいでしょうか。
こういう人は、「問題を起こす人」「問題を抱える人」と捉えられがちですが、実は、「問題を提議する人」だったりするのです。
「このままでいいの?」
そう訴えているわけです。
もっとも、本人だって、それを意識していることはないと思いますが。
☆
この布置はなんでしょうか?
ある種の安定のある場。そこにいる、権威者と、それを頼りにする人。
権威者の持つ生きていない半面。
権威者に頼ることで生じる、構成者の生きていない半面。
それぞれの未だ生きていない半面を生きることを要求する、人間のずっとずっと奥にあるもの。
☆
世界にあり、それぞれの人間の中にもある自然作用が、生きていない半面を生きることを要求してきます。強要といってもいいかもしれない。
権威者にも、それに頼る人にも、そういう作用が生じてきます。
そういう時期が来るんですね。
☆
そうなると、共存と共生の関係を、断ち切らねばならなくなります。
安定するために強いつながりを持ったそれぞれが、そうしなければならなくなる。
こんなことは意識的には行われ難い。
だから、意識外がその仕事をします。
そして、その役割を担うことになるのが、問題を起こす人なのです。
☆
今までは権威者が中心だったのが、幸か不幸か、問題を起こす人が中心となってくる。
みなが頭を抱えながら右往左往する中で、はじめは表面的な物事ばかりに目が行きますが、条件がそろえば、だんだんと別のことに気づき始める。
それぞれの「うすうす気づいていたこと」に触れなければならなくなってくる。
今までも、うすうす気づいてはいた。でも言えなかった。それを言う段階に来るのです。
☆
それは破壊的な側面も持ちます。うすうす気づいてたけど言えなかった、というぐらいですから、そりゃ破壊的です。
言う方も、言われる方も、つらい。
でも、ある意味では、つらいからいいのです。
つらさも何もなしに言うとなると、こんな馬鹿なことはない。どこか知らない人が通りすがりに欠点を指摘するなんて、とんでもないでしょ? そんなのは、ただ破壊的なだけです。
けれど、つらい、でも、言わなければならない。そうなると違ってくるんですね。
別の言い方をすれば、そんな人だからこそ、言う資格があるのです。
いろんなことがありながら、そうやって、無意識の中にあって言語化されなかったものが、だんだんと言語化されるようになる。
そこに、破壊と創造が生じるようです…
(続きは「死と再生」に…)
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◇「第32回 安定と破壊/コンプレックス」◇
(第1回〜第31回は表紙の過去ログの目次ページからどうそ)
安定を得ても、次なる仕事が待っています。「今まで」を卒業して、「これから」に進まねばならない。
欠けたものを認め、埋めなければならなくなる。
☆
ただ、人間がそれを進んでするかというと、そんなことはないわけです。せっかく安定しているんだから、そのままでいようとします。わざわざ変わろうとは思わない。
ただ、それでいて、心情や状況に変化が出てくるのも事実。
一方では頑なに変わろうとしない人がおり、もう一方では何とか変わろうとする人が出たりする。
また、それにしたってそれぞれは無意識であって、絶対に変わらないぞと誓うわけでもなく、絶対に変わるぞと誓うわけでもない。ただ、よく見てみると、その態度、行動、いわば生き方が、その様相を帯びてくる。
そういう布置が、だんだんと出来上がったりします。
☆
権威者との関係だと、安定を得るまでは、不満はそんなにないのでしょう。むしろ、権威者を中心としてまとまり、頑張る。不平を言いながらも、それを壊そうとはしません。
だいたいが、その前にこそ不満や不足、渇きがあり、それを満たすために、権威者を中心として、みんなで頑張るのです。
そしてやがて、みなの頑張りが実を結び、安定を得る。
そうなると、今度は心情に変化が出るかもしれません。
安定は、得るまでは憧れの対象ですが、得てしまうと、慣れが出てきます。それを当たり前だと思う。
そうなると、権威者に対するもやもやが出てきたりします。
「あの人はいつもそうだ」とか「あの人のここが云々」というのが出てくる。
けれど、そうはいっても安定しているのだし、「権威者がいてくれたおかげ」というものを知っているので、それを壊そうという気にはならない。
また、権威者にしても、構成員に対して不満を感じるようになりますが、それを理由に場を壊そうとは思わない。それよりは、場を壊すような構成員の動きにこそ、不満や怖れを感じる。
ともかく、権威者、構成員、双方とも、せっかく築き上げた場を壊そうとは思わない。
☆
そこで登場するのが、トリックスターのような存在です。
困った人や、問題を起こす人が、出てくるんですね。
それだけの価値と可能性を持った登場人物が生じます。
☆
それは表面的には、問題を起こす人、困った人。世間一般からの評価も低い。
でも、広い視野で見れば、それ以上のものを持っていたりします。使命といってもいいでしょうか。
こういう人は、「問題を起こす人」「問題を抱える人」と捉えられがちですが、実は、「問題を提議する人」だったりするのです。
「このままでいいの?」
そう訴えているわけです。
もっとも、本人だって、それを意識していることはないと思いますが。
☆
この布置はなんでしょうか?
ある種の安定のある場。そこにいる、権威者と、それを頼りにする人。
権威者の持つ生きていない半面。
権威者に頼ることで生じる、構成者の生きていない半面。
それぞれの未だ生きていない半面を生きることを要求する、人間のずっとずっと奥にあるもの。
☆
世界にあり、それぞれの人間の中にもある自然作用が、生きていない半面を生きることを要求してきます。強要といってもいいかもしれない。
権威者にも、それに頼る人にも、そういう作用が生じてきます。
そういう時期が来るんですね。
☆
そうなると、共存と共生の関係を、断ち切らねばならなくなります。
安定するために強いつながりを持ったそれぞれが、そうしなければならなくなる。
こんなことは意識的には行われ難い。
だから、意識外がその仕事をします。
そして、その役割を担うことになるのが、問題を起こす人なのです。
☆
今までは権威者が中心だったのが、幸か不幸か、問題を起こす人が中心となってくる。
みなが頭を抱えながら右往左往する中で、はじめは表面的な物事ばかりに目が行きますが、条件がそろえば、だんだんと別のことに気づき始める。
それぞれの「うすうす気づいていたこと」に触れなければならなくなってくる。
今までも、うすうす気づいてはいた。でも言えなかった。それを言う段階に来るのです。
☆
それは破壊的な側面も持ちます。うすうす気づいてたけど言えなかった、というぐらいですから、そりゃ破壊的です。
言う方も、言われる方も、つらい。
でも、ある意味では、つらいからいいのです。
つらさも何もなしに言うとなると、こんな馬鹿なことはない。どこか知らない人が通りすがりに欠点を指摘するなんて、とんでもないでしょ? そんなのは、ただ破壊的なだけです。
けれど、つらい、でも、言わなければならない。そうなると違ってくるんですね。
別の言い方をすれば、そんな人だからこそ、言う資格があるのです。
いろんなことがありながら、そうやって、無意識の中にあって言語化されなかったものが、だんだんと言語化されるようになる。
そこに、破壊と創造が生じるようです…
(続きは「死と再生」に…)
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