【城太郎日記】ユング心理学・カウンセリング



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このページでは、表紙の過去ログ 09年06月分
シリーズ「コンプレックス」の第23回「主体性を脅かすもの」を紹介をしています。

表紙過去ログ

【2009年06月(2)】


◇「第23回 主体性を脅かすもの/コンプレックス」◇


(第1回〜第22回は表紙の過去ログの目次ページからどうそ)

いろいろコンプレックスについて記事を書いてきましたが、今一度、コンプレックスの特徴について考えてみましょうか。



コンプレックスの特徴としては、「主体性を脅かす」というのが、あるのではないかと思います。

「主体性」とは、「自分の意志や判断によって、行動しようとする態度」のことです。我々は何かしようとする時、自分の意志で決めたり、判断したりしてますよね。パソコンを立ち上げる、クリックする、お茶を飲む、携帯のメールをチェックする、いろんなことを自分の意志に従って行動しています。

しかし、その一方で、「思い通りにならないこと」に悩まされることもありますよね。

例えば、特定の人の前だと緊張したり、特定の場所だとうまく動けなくなったり、いつもスムーズにいくことがある状況だとスムーズにいかないとか、そういう、「意志に反したもの」、「思い通りにならない何か」に悩まされることもあろうかと思います。

あるいは、思っていることとは別の考えや情動が溢れてきて困るとか、そういうこともあるでしょうか。ある話題になると、腹が立って仕方ないとか。意志に反して非常に惹かれるとか、そういうこともあるかもしれません。

しかも、不思議なことに、その明確な理由が思い当たらなかったりするんですよね。その場所で何かあったとか、その人に何かされたとか、その人に強い思いを持つだけの経験をしたとか、そういうのが見当たらなかったりする。なぜそうなるのか、見当もつかない。

そんな中で、表に出る症状だけは確実にあり、悩まされたりする。悩まないまでも、不思議に思ったりする。

「特に問題はないはずだ」という意識と、「実際にはうまく動けない」という実状。この奇妙な布置に、戸惑ってしまいます。



ここで我々は理由というか、犯人を探してしまいがちです。しかし、その犯人探しは不毛な結果に終わることが多い。

例えば、「対人恐怖症」の場合、人を恐れる理由を探しても、明確な理由に行き着くケースはそう多くないのではないでしょうか。というか、理由も分からぬまま、苦しんでいるケースの方が多いと思います。「なぜ人が怖いのか?」、それが分からないから、余計に苦しいのでしょう。

そもそも、対人恐怖症と名付けられてはいますが、人が怖いのかどうかも、実ははっきりしないのかもしれません。いや、症状がないとか嘘だとか、そういうことを言っているのではありません。症状自体は明確にあるのだけれど、それは「人が怖い」ということなのかどうか、ということ。

正確には、「まるで人が怖いかのような」症状なのではないでしょうか。

というのも、対人恐怖の症状がある人でも、例えば、映画やテレビで人を見る分には大丈夫なわけでしょ。まあ、実際と映画やテレビは違うというのはその通りなんですが、何というか、「人が怖い」というのが、額面通りかどうかというのは、一考の価値があるのではないでしょうか。



他にも、「学校恐怖」とか「出社恐怖」とか言われたりしますが、学校が怖い理由とか、会社が怖い理由とか、そういうものは見当たらないんじゃないですかね。中にはある程度明確な理由があるケースもあろうとは思いますが、そんなに多くないんじゃないかな。

ということは、それは「まるで学校(登校)が怖いかのような」「まるで会社(出社)が怖いかのような」、そんな症状が出るにしても、「学校(登校)が怖いから」とか「会社(出社)が怖いから」とかいうのとは、ちょっと違うようです。

ただ、意志に反した何かによって、主体性が脅かされている。思い通りの行動がとれなくなっている。そういうことなんでしょう。



さて、このように考えると、犯人探しの不毛さがよく分かりますよね。

我々は何かにつけ理由を求め、犯人を探したがることがあります。登校できないくらい学校を怖くしたのは誰か? 出社できないくらいにしたのは誰か? 誰のせいなのか? どんなことがあったのか? と探してしまう。

しかし、学校が怖いから登校できないのではない、会社が怖いから出社できないのではない、このように前提が崩れてしまえば、犯人探しに意味はなくなります。



話を戻すと、表に出る症状は違えど、我々は――その程度は別にして――理由の分からないおかしな現象を、少なからず体験しているのだと思います。

うまくいかない、おかしな反応をしてしまう、時間がかかる、すごくこだわってしまう、いつもはそうでないのに、そうなってしまう。

それが特定の状況において、顕現する。人によって、登校時であったり、出社時であったり、人前に出た時であったり、何かの話題に触れた時であったり、そういう時に現れる。普通じゃなくなってしまう。



ところで、「自分の意志で判断し」というのは「意識」の領域での話ですよね。ということは、今まで話したような不可解な現象は「意識の外」というのが関係してそうです。

ということで、次回は意識と無意識について考えてみましょう…









(続きは[09年07月-1の過去ログ]に…)





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