【城太郎日記】ユング心理学・カウンセリング



城太郎日記へようこそ♪
このページでは、スーザン・フォワード著「毒になる親」を紹介をします。
今回は、「毒になる親とは?/神としての親」について。

第1回『毒になる親とは?/神としての親』



「毒になる親とは?」


「動物は基本的にノイローゼにはならない」という。この言葉の意味するところは、何でしょうか?

注目すべき点は、「基本的に」という部分。基本的にとあるということは、そこに例外が存在するということ。おそらく、言葉を変えると、こうなるのでしょう。

「動物は自然に生きている限りノイローゼにはならない」
「動物は――人間が干渉しない限り――ノイローゼにはならない」

ということは、「自然に生きることができないなら?」とか「人間が多大な干渉をすれば?」とか、いろいろと見方は出てきます。


心理セラピストである著者は、そのまえがきで、悩める人の特徴を次のように挙げています。

その多くは子供時代に親からしっかりと心を支えてもらった経験がなく、むしろその逆に心や体を傷つけられたり、過大な圧力をかけられ、そのために心の健全な成長が妨げられ、自分が生きていることに価値を見いだせない苦しみを抱えていた。

(P7)


著者によれば、子どもは親に「感情の種」を植えられるという。

それが肯定的なものである場合、「愛情」「他人を尊重する心」「独立心」といったものに成長する。しかし、そうでない場合、「恐れる心」「不安感」「過剰で不必要な義務感」「罪悪感」「いくらやっても不十分な気分」などに成長するというのです。(P8)


親も人間なのだから、完璧にいくはずがない。時々は、何かが足りなかったり、何かしでかす場合も。多少の失敗や不足はある。それは誰であっても、そう変わりないでしょう。

ただ、そんな中で、「子供に対するネガティブな行動パターンが執拗に継続し、それが子供の人生を支配するようになってしまう親(P9)」がいると。

そういう、結果として子どもに害を与える親を、著者は「毒のある親」と名付けました。


このような状態にありながら、子は――たとえ大人になっていても――今起きている問題と親との因果関係について、気づけません。

なぜなら、親が要因であると考えることに対し、抵抗を感じるから。後ろめたさや、罪悪感を感じずにはおれないから。子は幼い時、たとえ自分が迫害されていても、「自分がいけなかったから」と思ってしまう。多くを、自分のせいにしてしまいがちなのです。

ただ、冷静に考えれば、「幼い子に責任?」ということになるでしょう。負わないでいい責任は、もう、下ろしていいようです。責任を負うのは、大人の役割なのだから。


この本は、まず、毒になる親のタイプを紹介し、後に、そのような親を持った子がどのように自己を回復するか、その方法を教えてくれるという。

前書きの最後には、このような言葉が書かれています。


「毒になる親」の呪縛から本来の自己を解き放ち、自分の人生を自分の手に取り戻してほしい。

(P21)


ただしこれは、「単に親を悪者にする」といった試みではありません。善悪を越え、「自分を赦す(ゆるす)」試み。

おそらくは、毒になる親の親も、毒になる親なのでしょう。そういう意味では、毒になる親もまた、被害者なのです。ただし、だから赦せというのも、違う。

一つひとつの事象について、整理することこそ、大事なのです。一つひとつを受けとり、認める。善悪を超えて、それをだんだんと見れるようになる。その過程で大きく心は揺れるし、感情も出るのですが、それを経て、自分を赦し、重荷を下ろすという作業をします。

これが、呪縛から解放されるということ。


では、その内容を、少しずつ見ていきましょう。





「神としての親」


幼い子にとって、親や養育者は神にも等しい。なぜなら、自分ひとりでは生きていけないから。赤ん坊は、多くを与えられないと、生きていけない。自分では何もできないようになっています。

とはいえ、人間は成長します。初めは見本をマネるにしろ、やがて自我を育て、自身の好みを持ち、自分の道を歩もうとする。それはある意味、親の価値観や権威への対立・対決であります。

この際、理解があり ある程度 安定している親なら、こういった子どもの動きに、モヤモヤしながらも耐えることができる。反抗や離反という行為を全面的には認められないにせよ、「そういうものだ」と何とか納得しようとできる。あるいは対決という形を取り、互いの主張をぶつけ合うのでしょう。

しかし、問題となる親は、こうはいかない。価値観の違いや反抗を、ゆるせません。表向きは子の成長や自立を願いながら、こういった対決を攻撃裏切りと受け止めてしまう。

で、何をするのかといえば、援助を止めるなど、依存度を大きくして縛ろうとする。赤ん坊の時の再現です。おまえはひとりでは生きていけない、言うことを聞け――たとえ それを口には出さないにせよ――これを体現する。幼い時の関係に戻って、立場を守ろうとするのです。

こうして子どもの方は、自我確立のチャレンジを挫折させられ、自負心を大きく傷つけらてしまう。あるいは、虚無に襲われるかもしれません。


でも、こういったことに、子どもは気づかない。というか、気づけない。

そこには、心理的な働きがあるようです。


事実の否定(P39)

そこにある苦痛をないと思うことで、自我を守ろうとする。自分に対して、無意識的にそんなことはなかったと言い聞かせます。

その手段には、「理由づけ」というものもある。「××なのは○○だから」と、されたひどいことに理由をつけ、それがあたかも「しょうがなかったこと」であるかのように、取り繕います。


事実を見れば、本人は傷つけられている。そして当然、人間は傷つけられることを望まない。

これが他人であれば、傷つけられたくないので自分を傷つける人を何とかする、となるでしょう。自分で抵抗したり、人に助けを求めたり、そうやって傷つける人を止めたり排除しようとしたりします。

が、これが近しい関係になると、そうはいかない。ここにはそんな複雑さがあります。

傷つけられている事実を、何かしらの理由をつけて否定することで、なかったことにしようとするのです。といっても、それは思い込みという手段であって、実際の傷はなかったことにはなりません。


その理由で困るのは、「自分が悪い」としてしまいがちなこと。あるいは、身近な誰かを悪者にすることもあるでしょうか。どちらにせよ、実際にしている人に免罪符を与えるため、他の誰かのせいにしてしまうのです。

これが自分に向けば、本来ない罪悪感を背負い、重たい人生を歩むことになってしまうことでしょう。


上で書いた通り、いくら事実を否定しても、事実そのものは消えません。そしてされたことには、感情が生じる。ひどいことをされれば怒りたくもなるし、憎みたくもなる。ウンザリさせられる経験が続けば、どんどん嫌になります。

感情はそれを表現する限り外に流れ出ますが、その存在さえ認めないので、ここでは蓄積します。なので、爆発せざるを得ない状況ができあがってしまう。

けれどそこには事実の否定という前提があるため、それそのものに対しては爆発できない。なので、他の比較的手軽な対象に対して、爆発します。

不可解な怒りや嫌悪感には、こういう布置があるのです。実は目の前のものに怒っているのではなく、認められない何かに怒っている。場所と時間は、実際はズレていたりするんですね。(時間超越の罠)

本来のものに感情をぶつけられないから、他の何かに感情をぶつけているというわけ。「○○してはならない」「○○に逆らってはならない」という無意識的なタブーが、そうさせるのです。

しかも、これらのタブーは、一般的には間違ってなかったりする。なので余計に、後ろめたさが増します。

が、しかし、です。ここでは例外的なことをされたりしているので、一般論的なタブーは通用しません。健全な関係であればそうなのであろう、しかし、継続的に何かをされていたならそうではない。そういった「場合分け」が、そこにはあります。

例えば、一般的には「みんな仲良くしましょう」ですが、継続的に自分を傷つける相手には違ってくるでしょ? 「逃げろ」や「助けを呼べ」に変わってきます。


ようく観察できれば、こういうことはすぐに分かります。でも、第一に、人間は自分のことを客観視するのが苦手です。第二に、心理・文化 共に、親を疑うことには後ろめたさや罪悪感が生じやすい。比較的手軽なところでは疑えるし責められるけれど、核心となると、なかなかそうもいかないのです。

なので、観察(客観視)するのも難しい、事実誤認もするし(認知の歪み)、何とか自我を守ろうともする(防衛機制)。


ただし、すべての人間には以下の第一命題があると考えます。

傷ついた人は守られねばならない。
(傷ついた人は保護されねばならない)

だからやはり、救いは必要なのです。




次回に続く…




<チェックシート>

・いつも子どもを否定してないか?/いつも親に否定されていないか?
・価値観の違いを裏切りだと感じてないか?/価値観の違いを裏切りだと責められてないか?
・言うことを聞かないと援助を打ち切ると脅してないか?/脅されてないか?

(よく分からない場合は、隣の家の小さな子が そうされている場面を想像してみてください)










「目次」

「第2回 親の義務/共依存の親子」に進む>>




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