【城太郎日記】ユング心理学・カウンセリング



城太郎日記へようこそ♪
「毒になる親はなぜこのような行動をするのか」について。
「家族というシステム」「親の考え方」「無言のルール」
「親子の境界線」「危機に対する対応」

第8回『無言のルール/親子の境界線』




<家族というシステム>


人間が生まれて最初に接する集団が、家族ということになりましょう。その外に出るまでは、家族の中で育てられます。あるいは、家族の中である程度成長し、それから外の世界にだんだんと出て行くことになる。

赤ん坊の時、まず保護してくれるのが家族です。危険から守ってくれるし、必要なものを与えてもらえる。生きること全般を世話してもらい、その存在を喜ばれます。

そしてその間にも、人は多くのことを学んだり受け取ったりしている。まず、この最初の相手たちと接することで、だんだんと自分というものを知るでしょう。自分が生きる世界というものだって感じるようになり、そこでどうすればいいのか、身近な人たちを見て学びます。

自分が無償で受け容れられることで、基本的信頼を育む。内なる要求と躾(しつけ)の間で、自律性も身につけます。そこからやがて、自発性だって育てることになる。これらは、全部が全部うまくいくわけではありません。エリクソンのライフサイクルで例えるなら、基本的信頼と不信が対立し、自律性には恥や疑惑がつきまとい、自発性と罪悪感の間で、人は葛藤を経験するでしょう。

ただまれに、極端にネガティブな方向に傾くことがあります。その原因に「毒になる親」がなると、この本の作者は指摘する。毒になる親の影響を受け、「他人が信用できない」だとか「どうせ自分なんか誰もかまってくれない」だとか「自分には全く価値がない」と信じ込み、自滅的な性格を作り上げてしまうのです。

(それは生まれながらの性格でそうなったというよりは、積み上げられた経験でそうなる)

これらの傾向は、別の本「いやな気分よさようなら」でも出てきた傾向ですよね。そしてこれらは必ずしも事実でないことを、我々は知っています。信じて来たことと実際は、必ずしもイコールではないのです。

スーザン・フォワードは、この<偽りのシナリオ>を書き換えることが可能だと言っています。そしてそれこそが、不幸を減らすことにつながると主張している。「自分がこれまで信じて来たこと」「今、自分が送っている人生」「それによって生じている感情」、これらは<家族というシステム>によって作られている。それを知ることから、まず始るといいます。

ただ、だからといって、親だけが悪いのではありません。毒のある親は、毒のある親によって育てられている。いわばこれは、一族の問題、家系の問題なのです。不幸にも代々受け継がれ、今やっと、問題が具現化してきている。それはいわば、悩んでいる人に問題を解決するきっかけを作る可能性が見出されたということかもしれません。悩むだけの価値を見出されたということ。

スーザン・フォワードは、被害者こそたいてい一家の中でもっとも健康的な人間だと言っています(P173)。被害者はたいてい、自己嫌悪やうつの症状に悩んでいたり、何らかの症状や問題を抱えている場合が多い。それに比べ、他の家族は、普通の人と変わらない生活を送っていたりします(少なくとも、外見上は)。

なので一見すると、被害者が健康的な人には見えません。

が、しかし、家族というシステムが歪んでいたり崩れているという前提を思い出した時、どうなるでしょうか? 普通の一家を装い、普通の家庭人の仮面をかぶって平気でいる人と、それに耐えきれず問題が生じる人、どちらが健康的なのでしょう? 問題ある集団で助けを求める人と、必要ないと否認する人、どちらが健全なのでしょうか?

被害者は助けを求め、本来の自分を取り戻したいと、まっとうなことを訴え、チャレンジしようとしているのです。逆に、「うちは普通の家族なんですよ」、そう言いたいがためにその足を引っ張るのが、果たして普通なのかどうか。

こういう布置が、毒のある親の家族にはあるのです。




<親の考え方>

人は、人から学ぶ。子はまず、親から学ぶ。この2つの前提を考えると、上で述べた家系の問題が見えてきます。人はものの考え方を、まず親から学ぶ。ということは、基本的なものの考え方や、人間関係、規範など、その多くを家族内で受け継いでゆくことになります。もちろん、成長すれば外の世界に触れ、「あ!」とか「あれ?」となり、修正することもありますが、毒になる親を持つ家庭の傾向、内側への結束の強さを考えると、それは難しいのかもしれません。

健全な親なら、家族のメンバー全員の気持ちやニーズを考慮するという(程度は別にして、ですが)。また、子どもの独立に際しても、寂しいと感じながらも、協力する。そして、以下の大事な考え方を持っているといいます。

「子供は親と違う考えを持っていてもかまわない」
「親といえども故意に子供を傷つけてはならない」
「子供は間違いを犯したり失敗したりすることを恐れるべきではない」
(以上、P178)


ところが毒のある親は、考え方が実に自己中心的だというのです。それは具体的には、このような考え方になる。

「子供はどんなことでも親のいうことを聞くべきだ」
「親のやり方が絶対正しい」
「子供は親に面倒を見てもらっているのだから、いちいち言い分を聞いてやる必要はない」


これらを口に出したり、しっかりと意識しているかどうかは別にして、そういう態度で子どもに臨んでいると。なので毒になる親は、そんなことはないと言うかもしれません。でも、していることは、上のことそのままだったりする。(これは後述の、「無言のルール」に通じるのかもしれません)

あるいは、子どもや家族を思いやるにしても、自己中心的です。相手の気持ちを気遣っているようで、実は気遣ってない。自分がよかれと思ったことが中心にあり、相手の気持ちも、相手の顔色も、確認しません。確認しないのに、きっとそうだと思い込んでいるのです。

この、確認しないところ、信じ込むところ、そして自分を変えようとすることがないところ、これらが毒になる親の特徴であり、それを育てる土壌なのでしょう。ともかく間違いを認めようとしない。自分の信じていることに合わせて、事実の方を捻じ曲げてしまいます。

そして悲しいかな、子どもはそれに気づくことができない。


また、考え方には、言葉で語られる考えと、言葉では語られない考えがあるといいます。前者は、「○○しなさい」とか「○○してはいけません」というもの。これは後で、大人になってからでも検証できます。問題は、後者。言葉に表されてない表現は、それと知らず受け取っているため、なかなか意識できません。言語化されていないものは、検証しにくいのです。

でも、意外と、言葉には出してないけど影響されている態度や考え方は多いといいます。例えば、「子どもは親の奴隷だ」と言う人は ほとんどいないと思われます。けれど関係を見た時、「まるで奴隷じゃないか」と思うようなことはあるかもしれない。「親のために尽くせ」とは直接言われないものの、そういった空気に支配されていることは、あるかもしれません。他にも、「親の気分に気を遣え」「親元を離れるな」など、いろいろあるかもしれない。

特に、毒になる親の場合、この傾向は強いという。何らかの方法で、直接口には出さず、それでいて子どもを縛りつけたり、支配していたりするのです。

こういった場合、何らかの方法でそれを意識化するまで、子どもは罪悪感で苦しむことになるという。本来は、苦しむ必要なんてないのに。


家のルールにも、言葉にしたものと言葉にしてないもの、2通りあるといいます。そしてこれも、言葉に出されたものは反論しやすく、言葉に出されてないものは反論しづらいという。「親を傷つけるな」「親を見捨てるな」「親を悲しませるな」「親のしたいようにさせろ」など、これが世間のルールと微妙に重なり合って、余計に子どもが反論しづらい空気を作りだします。

でも、これって、本来、親が子どもに与えるものなんですけどね。子どもを傷つけるな、子どもを見捨てるな、悲しませるな、したいようにさせろ。それが見事に、反対になっている。

この言語化されてないルールが、小さい子に親の役割を強いていたり、大きくなってからもその人の人生に大きな影響を与えている場合があるという。子どもの頃には干渉され、大人になってからは依存されと、子どもの健全な成長は阻害されてしまいます。

誰しも無意識に、「最後に帰るのは家族だ」「最後に帰れる場所は家庭だ」という考えがあるのでしょう。なので、家族のルールに立ち向かうのに、気が引けるところがあります。できれば逆らいたくないと、誰もが思います。それも仮に言葉になっていたなら、あまりに間違っていれば反抗することもできるでしょう。けれど、言葉になっていないものは、まずそれと気づくのが難しいという第一関門があるのです。


人生においては、その時々で何らかの選択をするものです。そしてその選択にも、大まかに言って、2種類ある。1つは、自由意思による選択。誰にも束縛されず、自分の意志や考えで選びます。そしてもう1つは、雰囲気や無言のルールによる選択がある。ここには、自由意思というものがありません。

後者は、罪悪感が関係する場合がある。「わたしが悪いから」という前提のもと、選択してしまう。「わたしが悪いのであって、親は悪くない」という思いが、第三者から見たら奇妙に思える選択をさせてしまったりします。「人間的に成長して親の元を離れてはならない」「他人と健康的な人間関係を育んではならない」などの冷静に考えれば馬鹿げたルールにも、従ってしまう。それは言語化されていないので、気づけないのです。

毒になる親を持つ子どもは、このように、無言のルールに支配されていることがある。知らず知らず、無言のルールに縛られ、苦しめられているのです。なのでそれに気づかない限り、自由意思による選択ができない。本当の意味で己の人生を歩むことができません。





<親子の境界線>


健康的な家庭には、個人の考えや感情を表現する自由があるという。一方、毒になる親の家庭では、上で述べたような無言のルールがあるため、そこに制限が加えられています。そしてそれが、家庭外の付き合いにも影響を与える。

目に見えやすい場合と見えにくい場合があるのですが、どちらにせよ、このような家庭では、子どもは自分の感情や欲求を殺すことがパターン化されており、子どもは親の考えに従ったり、親の欲求に付き合わされるようになってしまっています。(あるいは、家の考え)

見えやすい場合とは、言葉や態度でそれを強要しているようなケース。でも、その他にも、言葉や態度には出さず、それでいてそうさせているようなケースもあります。例えば、子どもが自由意思を持ちはじめると、途端に弱者になり、それを阻んだりする。手段は違えど、子どもの自由にはさせません。

このような布置ができあがると、個人間の境界がぼやけるという。家族が不健康に密着しているので、どこからが自分でどこからが自分じゃないのか、分かりにくくなる。また親の方も、どこまでが自分の考えや欲求か把握しておらず、子どもの考えやニーズというものを理解できません。自分の考えと相手の考えを混同し、自分の気持ちと相手の気持ちをごっちゃにする。

こうなるともう、子どもの感情や自由意思というものは、非常にぼやけたものとなってしまいます。なので、知らず知らず自尊心は傷つけられ、自信が持てないようになってしまう。


このような「毒になる家」は、無言のルールを守ることで、今にも壊れそうな危うい安定を何とか保っています。なので、ルールを破ることや、家族が抜けることを、すごく嫌う。なぜなら、それは家の破壊につながるからです。

健全な家庭なら、子の独立を――寂しい想いもありながら――祝福するでしょう。でも、毒になる家では、それができません。その行為は、家を破壊する裏切り行為となってしまう。そして子どもの方も、罪悪感に縛られ、身動きできなくなります。

彼らは壊れそうな家を維持するため、どんな手でも使う。時にパニックになったり、時に裏切者と罵ったり、無視したりもすれば、脅したり、逆にすがったりと、ともかくあらゆる手で、子どもの自由を抑え込もうとします。




<毒になる親の 危機に対する反応>

毒になる親の家、すなわち毒になる家は、不健康な状態。にもかかわらず、毒になる親はそれを維持しようと躍起になります。不健康なのだから本来は見直すべきなのですが、それを認めない。ふつうなら外部に助けを求めてでも解決しようとしますが、頑なにそれを拒否します。

そしてそれには、幾つかのパターンがあるという。


(1) 事実の否認

ともかく、否定し、認めません。「そんなことはないんですよ」「問題なんてありませんよ」と、取り繕う。あるいは、「もう、これからは大丈夫ですよ」とか「ささいなことなんですよ」と、問題をできるだけ小さく見せようとする。外部に対して、普通なんですよとアピールします。


(2) 問題のなすりつけ

この「なすりつけ」は、子どものせいにすること。原因が子どもにあるようなことを、におわせる。もちろん、事実ではないのですが、子どもはそれを信じたり、信じないまでも気にします。


(3) 妨害行動

不健康な家庭であるはずなのに、今の地位や役割を守ろうとする人が出ることがある。「世話する」という役割に固執する人は、相手の自立や回復を妨害します。相手が世話される人でないと困るのです。

また、子どもがカウンセリングやセラピーで回復の兆しをみせた途端、それを邪魔しようとする親もいるという。何かと文句をつけ、やめさせようとします。

不思議なことに、彼らは現状維持を強く望む傾向がある。いかに不健全でも、危機的状況でも、です。


(4) 三角関係を作る

親と親の間で、子どもを取り合うような状態。健全な関係なら、大人同士が向かい合うのですが、それを避け、子どもを奪い合ったり、子どもに言いつけたりする。

なので子は両親と共にいる(両親と共に愉快に過ごす)ことができず、絶えずどちらを選ぶかと迫られたり、互いの悪口をふきこまれて、心を蝕まれてしまいます。


(5) 秘密を作る

毒になる親は、普通の家庭であることをアピールしないとおれない。なので、本当のことを言うのは厳禁。家族内の秘密として、厳密に管理しようとする。本来なら助けを呼べばいいものの、それを干渉であると考え、怖れるという。




このようなことがあるので、毒になる親の子どもは、ひどく傷ついています。さらに、大人になってからも縛られたり、おおいかぶさられたりして、故に、自己破壊的な傾向を示すようになってしまう。他人との付き合いにだって、大きな影響を及ぼすでしょう。

なのでまずは、自分がそのような状況にあるのだという理解が必要だという。そして実は、違ったやり方があること、違った生き方があることを、知ればいい。今までは、同じことの繰り返しで、苦しめられてきました。なので、これからは、「今までとは違ったこと」をしていくのです。

それが次の 第二部『「毒になる親」から人生を取り戻す方法』につながっていきます。




次回に続く…




<チェックシート>

・親と子は違う存在だということを理解できているか?
・親のやり方が絶対に正しいと思ってないか?
・子どもは親に意見するもんじゃないと思ってないか?
・子どもが考えや感情を、ある程度 自由に表現できているか?
・いちいち、親の欲求に付き合わされていないか?

(分かりにくい場合は、小さい子がそうなっている場面を想像してみてください。そして、何か助言したくなったら、心の中で、声をかけてあげてください)










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