【城太郎日記】ユング心理学・カウンセリング



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ここでは、「防衛機制」について紹介しています。
このページは、「逃避」について。

防衛機制―守護者と壁の役割―

『逃避』




逃避――

困難に直面した時など、逃げ出したり、意識しないようにしたりして、問題を回避しようとすること。


その場に身を置くと、また○○になる。そういうことが分かっている場合、その場から逃げることで、危険や心的負担から自分を守ろうとする。そこに近づかないようにする。
あるいは、その場にはいるものの、それを意識化せず、いないと同じような状況を作り出し、自分を守ろうとする。現実から目を背ける。


核となるのは、つらい現実となるでしょうか。
そこにいるのは、堪らない。あるいは、それについて考えるのは、堪らない。

こういう時、誰もがつらい現実を忘れようとします。ある人は気晴らしに出かけ、ある人は別のことを考える。
また、どうしたらそれから逃れられるか、思いを巡らせるかもしれません。

多くの人は、こういうことをしながら、だましだまし、何とかやっていきます。
でも中には、それができなくなる場合もある。
もうだませない、つらい現実と向き合うのは無理だ、そうなってしまうかもしれない。


このような時、それについて取組むのをやめることで、それと向かい合うことをやめることで、自我や心を守ろうとします。

またこれも、単純に悪いことだと断罪できない。
なぜなら、無理だと言っているのだから。

適応ということを考えると、その場に適応できる人もいれば、その場には適応できない人も、出てきます。
この時、適応できない人は、やがて内的な悲鳴を上げる。我慢しようとはするのだけれど、どうしても馴染めず、まいってしまう。
それは本人にとってかなりの負荷なので、自己防衛の手段として、逃避が行われる。
その場から逃げることで、心の安定を図る。

この時、適応するのが当たり前だと思っている人は、非難するかもしれません。なぜ、来ないのか? なぜ、逃げるのか? そう問うてくるかもしれない。
でも、理由もなしに逃げる人はいないわけで、そこでさらに問い詰めても、仕方ない。
また、本人にしたって、表立った症状=○○に行けない、ということは分かっていても、その奥にあるものについては、意識化できているかどうか、分かりません。
むしろ、なぜか分からないけど行けない、となっているかもしれない。
こんな時に、なぜ来ないのか? と言われても、つらくなるだけなので、そんな問いは、不毛なものとなります。



逃避がつらいのは、それがあくまで一時しのぎ的な効果しかないため。
逃避しても、つらい現実はなくならないので、気分が沈んできます。

ただ、ここで「時間」というものが、鍵になってくる。
時間は、癒しと成長を与えてくれます。

疲れた身体も、休めば回復します。
同じように、疲弊した心も、安静にすれば、幾分かは、回復する。

負荷と回復は、身体を成長させます。
過ぎた負荷だと身体を壊しますが、適度な負荷だと、成長につながる。
そしてこれは、心にもいえる。

防衛機制が与えてくれるのは、一時的な安定。
でも、それでも、時が稼げる。
というか、自我がまいってしまうような状態だと、そういう時間は必要。


負荷と成長について考えると、筋肉痛などがいい例ですね。
ウエイトトレーニングには、「超回復」という現象があります。
強い負荷をかけ、その後、休ませると、筋肉は強い負荷に備え、以前より成長しようとする。それを繰り返すことで、筋力アップさせるわけです。
ただ、休むことなく負荷だけを与え続ければ、筋力はアップしないし、場合によっては怪我につながります。

こういったことが、心にもいえそう。

人間は生きていると、何らかの負荷を受けます。嫌だな〜と思うこともあるし、しんどいな〜と思うこともある。
そういうこともありながら、ちゃんと休んで、それで、ちょっとずつ成長する。

けれど、そのちょっと休んでが、難しくなる場合がある。あるいは、他の人には適度な負荷でも、その人には過負荷になっている場合もある。
こんな時、身体でも重大な怪我をすることがあるように、心も、たいへんな損傷を負ってしまうかもしれない。

それを避けるために、防衛機制が働きます。
このままでは危ない、逃避させよう。そういう指令が、意識外から出る。

確かに、逃避という行為は、社会通念上は価値が低いものかもしれません。
しかし、心身を守るという点では、尊いのです。


ただ、問題があって、逃避するだけでは問題解決にはならないという点があります。
前述のとおり、これは一時しのぎだと。

だから、時間が鍵になる。

逃避する間、十分に休めれば、疲れは(ある程度は)回復する。
さらに、自我も(幾分かは)成長しているかもしれない。

が、しかし、一般論や罪悪感から、十分に休めないところがあって、ここがこれからの時代の課題でもあるのかもしれません。
表面上は休んでいるようでも、いろんな圧力から、心は休まっていないケースも、多々あるよう。



逃避もまた、他の防衛機制と同じく、一時的な心の安定という意味では、有効な手段だと思えます。
だいたい、逃避を責める人にしても、何らかの方法で、実は、逃避しているもんです。
(酒に逃避する、趣味に逃避する、○○に逃避する)

ただ、いつまでも逃避していられないという現実があって、このつらい現実が、さらなる逃避を誘発してしまう。

しかし、時間というものを考えると、時間は心身を癒してくれるわけだし、ある種の成長さえ促してくれる。
そしてやがて、成長願望さえ、出てくるかもしれない。

プレッシャーばかりだと逃げることが優先されますが、そればかりではなくなった時、やがて、歩みたいという衝動のようなものが、生じるものです。

なので、それまで待つというのは、そんなに悪いことではないのだと思えます。

そして、その間に葛藤に堪えるだけの自我ができれば、何らかのAとB、その間の葛藤の中で、Aだけでもない、Bだけでもない、そんな第三の道が、見出せるかもしれません。


待つのは、本人にしても、周囲にしても、つらいのですが…





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