どうして、目の前のものと関係ない感情が出てくるんだろう?
ある特定の状況で訳が分からなくなる時、無意識でコンプレックスが働いているのかもしれません。
では、そうなる時とそうならない時で、どんな差があるのでしょうか?
それは、「カテゴリー」による影響かもしれません。
<投影>
前回書いたように、コンプレックスは、目の前のものと無意識内の何かとを、強い情緒を伴って結びつけます。
これは何でも結びつけるわけではなく、「結びつけるのにうってつけの対象」に、そうするのだと思われる。
我々は意外と、意識できていないことが多いのです。特にコンプレックスや影に関わるものは、意識することが困難になっている。
でも、意識しないから無いのかというと、もちろん、そうではありません。意識できないだけで、それは生き続けます。それはいわば、無意識という闇の中で、生きている。
そんなものが、意識上に現れ、認識されることがあります。それが「投影」。
自分の中にあるものを相手に投影し、それで認識することができます。影の場合は、自分の影なる部分を相手に投影し、あれこれと攻撃的に批判したり、執拗に否定したりする。
コンプレックスの場合も同じで、目の前の相手に、強い感情を伴う何かが投影され、それで戸惑ったり、動きがぎこちなくなったり、よくわからない感情に揺らされたりするんですね。
でも、「目の前のもの」と「自分の中にある何か」は、同じではない。同じではないにもかかわらず、まるで同じように扱われ、同じような強い感情が出てくる。
これで人は、困ってしまうのです。
ただ、困ってしまうのだけれど、それだけでもないようですね。
そこには、ヒントがある。
「意識できない何か」「投影先」、このことから、自分の無意識内にあって処理されていない、しかも強い情動を伴うもの、それと出会えるかもしれないことが分かる。
そのヒントが、「カテゴリー」になるのでしょう。
「誰かの前では、いつもとは違ってしまう」
「でも、その人に、特別な感情があるわけではない」
こういう時、未処理の何か、それも放っておけない何かが、無意識内に残っているであろうことが推測される。
そしてそのヒントとして、カテゴリーというものが物を言うかもしれないのです。
(続く…)