なんて かわいそうな子なんでしょう。
ドロシー・ロー・ノルト/レイチャル・ハリス 著
石井千春 訳
「子どもが育つ魔法の言葉」より
<言わない方がいい言葉>
子どもを不憫に思えた時
× 「なんて、かわいそうな子なんでしょう」
× 「あなたは、かわいそう」
あわれな時、気の毒な時、不憫に思える時、
人は「かわいそう」だと思う。
時には、「自分は、なんてかわいそうなんだ」と思う。
そして、みじめな気分になることも。
子どもは小さいほど、親の言ったことを素直に信じます。
なので、親に「あなたは かわいそうな子」だと言われると、それを信じてしまう。
「わたしは、かわいそうな子なんだ」と繰り返し思い、信じ、その思いを強化してしまいます。
(あるいは、「わたしは、かわいそうなんかじゃない!」と事あるごとに反発しなければならなくなり、それで疲れてしまう)
これではやる気も起こらないし、頑張ろうとも思えない。
ただただ、みじめになるばかりです。
人は、数多くの要素から成り立ちます。
なので、たくさんの要素の中には、「かわいそうに思える」要素も、あるかもしれません。
誰だって、きっとそうでしょう。
その1つの要素をつまみあげ、まるでそれがすべてであるかのように言われ、「あなたは、かわいそう」なんて言われたら…。
誰もが、人から劣る要素を持っているでしょう。
でも、同時に、人に勝る要素も持っているものです。
なので、親がどこに注目するかで、劣等感を持つ場合もあれば、自分はだいじょうぶだと思える場合もあるようですね。
1つはすべてじゃない!
これって、大事かもしれませんよ。
(続く)