【城太郎日記】ユング心理学・カウンセリング



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このページでは、表紙の過去ログ 09年08月分の1回目
シリーズ「コンプレックス」の第26回「二つの心」を紹介をしています。

表紙過去ログ

【2009年08月(1)】


◇「第26回 二つの心/コンプレックス」◇


(第1回〜第25回は表紙の過去ログの目次ページからどうそ)


我々の人格はひとつです。しかし、二つの心が生じることって、ありませんか?

いや、別に、二重人格的な極端な話をしているのではありません。例えば、朝、布団の中で「学校(会社)に行かねば」という思いと、「できたら休みたい」という思いが生じたりする。課題や納期を前に、「取り組まねば」という思いと、「逃げたい」という思いが生じたりする。

このように、実際にどうするかは別にして、相反する思いが生じたりしますよね。(そして、それを割合気軽に誰かに話す人もいれば、そうしないで持ち続ける人もいる)

この場合、どちらが本心かというのは微妙な感じがしますが、どちらが本心であれ、逆の思いが生じているのはその通りですよね。そして、その逆が大きな力を持ってくると、今までしていたことも、できなくなったりする。あるいは、今までせずにいたことを、してしまったりする。

場合によっては、主体性が脅かされ、行動や態度を自由にコントロールできなくなることもあるかもしれません。意識に反して、身動きが取れなくなったり、逆に走り過ぎてしまうかもしれない。



ところで、上で挙げたような例の場合、「我慢」が含まれますよね。

例えば、眠いのを我慢して学校に行くとか、しんどいのを我慢して会社に行くとか。逃げ出したいのを我慢して取り組むとか、放り出したいのを我慢して進めるとか。

まあ、社会で生きる以上、我々は何やかんやで我慢してます。社会人であれ、学生さんであれ、家庭人であれ、誰だって我慢をしているでしょう。逆にいえば、我慢なしに自由にしていたら、社会が成立しません。

そう考えると我慢は必要なわけですが、我慢が絶対にいいものかというと、そうもいえませんよね。



例えば、ちょっとお腹が痛い時なんか我慢したりしますが、実はお腹の中で出血してましたとなると、我慢せずに病院に駆け込むほうがいいですよね。ちょっと転んで擦り剥いたくらいなら我慢したり応急手当をしたりしますが、実は転んだ拍子に骨折してましたとなると、これも早く専門家に治療してもらった方がいいということになります。

こんなのは当たり前といえば当たり前ですが、でも、捉え違いをしてしまうことだって、実際にありそうですよね。我慢していたのが実際は大きな病気や怪我だった、ということはあるでしょ。だって、体の中のことって見えませんものね。

これと同じようなことが、心の中でも生じます。ここでは我慢強いことが仇となったのですが、心の方でも、同じようなことが生じそうです。



一番最初に、人間には二つの心が生じることがある、と書きましたが、これにも我慢ということが関わっているんですね。ある意味、我慢が心を二つに分離させている。「しなければならない」「でなければならない」という(意識的な)思いと、「もうやめたい」「もう無理」という(無意識的な)思い。思うがままにしておけば葛藤など生じないのでしょうけども、そうもいかないから、抑えようとする心と、抑えられない心とが、両方生じることになる。

で、この二つの心ですが、別の言い方をすれば、前者は頭で考えることで、後者は心で感じること、あるいは、体の声ともいえましょうか。



例えば、「○○しなければならない」という心と、「もう、○○したくない」という心が生じた場合、その「○○しなければならない」ということを守りながらも、適度に息抜きし、「もう、○○したくない」という心も生かしておれば、そんなに対立は起きないのかもしれません。時々はやめてみたり、あるいは、誰かにその気持ちを話したり、そうすることで(ある程度)エネルギーは流されるかもしれません。

しかし、ここに大きな我慢が介在し、「○○しなければならない」ということを絶対遵守し、「もう、○○したくない」という心を完全に封じ込めれば、どうなるでしょうか。

それで後者の心が消滅するかというと、そうではありませんよね。むしろ、満たされないのだから強くなる。腹が減っているのに食べないのと同じように、喉が渇いているのに飲まないのと同じように、眠りたいのに寝ないのと同じように、満たされないと欲求は強くなります。当たり前ですよね。

そういうことが心にも生じるわけです。



二つの心が生じている場合、往々にして自我に近い心は、無意識に近い心を厄介がります。困ったものとみなす。邪魔者扱いします。

しかし、ここで考えるべき点があって、無意識のほうがずっと体には近いんですね。生命維持に無意識的な体の働きが大きく関与してるでしょ。このことからも分かるように、無意識的な活動というのは、生命や人間そのものを維持したり、言葉をかえると、破滅から回避させる働きを担っているのでしょう。

極端な話、無意識のほうにしてみたら、自我の意志なんて、関係ないんです。それよりは生命を維持するほうに力を注ぎます。あるいは、自然な状態に戻そうとする。自我が考える社会常識とか建前とか、場や集団のルールとか、そんなものは無意識には関係ないし、知ったこっちゃない。そんなことよりは人間総体を守ろうとします。また、だからこそ、自我にとっては厄介な存在なのでしょう。

こうなると、どちらが正しいとか間違っているとか、一概には言えなくなりますよね。場合場合で変わってくる。そして、一方のみが優位に働けば、ある時は社会的に危うくなるし、ある時は生命に関して危うくなったりする。



腹が減る、喉が渇く、眠たくなる。そういうことに対し、自我は――場合にもよりますが――我慢しようとします。そして、我慢し続け、またその要求を満たすことを極端に拒否すれば、要求は更に強まりますよね。

もともと「足りませんよ」と無意識は要求しているので、いつまでも足されないと、その要求は強まるでしょ。その要求が満たされないと、生命の維持が危ういわけだし。

そして、心にもそういった作用があるとしたらどうでしょう?

何かが極端に足りなくて飢えており、渇いており、あるいは、あまりに疲弊していたら?

我慢によって、それが抑え付けられていたら?


そう考えると、ねえ…



このように考えると、そりゃ、無意識のほうも頑張りますよね。

自我の主体性を脅かしてでも、足りないものを獲得しようとするでしょう。そうしないと危ないんだもの。

でも、人間というのは体の中の病気や怪我を見逃してしまうように、心の負担も見逃しがちなのです。心は目に見えませんから、なかなか分からない。出血するわけでも腫れるわけでもないので、なかなか異常が見つけられません。(ま、顔色や身体の異常として表れることもありますが)


このように、我慢は必要なのですが、その我慢が大事なものを覆い隠して、危なくなることもあるのです。我慢があまりにも当たり前になると、生命維持や人間らしさの維持に支障をきたす場合もあるのです。後者の当たり前が無視されてしまう。



我慢は必要であると共に、時には我慢しないほうがよい時もある。必ずしも我慢は絶対ではなく、場合場合に応じてうまく使わねばならない。

そういうことを忘れると、危ないですよね。そりゃ、無意識も頑張る。

それと、実は己が我慢したくないために、他者に我慢を強いている場合もあるので、こいつも考える必要がある。あるいは、場があまりに強くなりすぎて、その場を生かすために人間が犠牲になったりする。それぞれが自分の負うべきものを負う、という原則を逸脱して、とんでもない我慢を強いている場合が、現実にはあるかもしれません。

何故こんなことが起きるのかというと、その集まりの中で、ある我慢が当たり前だとされたり、他のものと混同されたりするからそうなるのですが、そういう事態を回避するためにも、「よく見る」ということは必要なんですね。あるいは、「よく話を聴く」というのは、必要です。

そこにある布置がどういうものなのか見ないと、なんともいえないんだから。



今回はコンプレックスというよりは影の話に近いような気もしますが、それはともかく、人間の統合性や主体性を脅かす存在にも、それなりの意味があるのは、お分かりになっていただけたでしょうか。

我慢は必ずしも悪ではなく、社会を成立させるためには必要なものなのですが、ほどほどにしないと危ないですよね。あと、負担が一点に集中しているような場合も、注意しないといけない。それに、溜まったものを流すことですか。我慢して溜め込んだものは、溜まれば溜まるほど負担になるわけですから、流す方法を考えないと危ういですよね。

そんなことを考えていると、主体性を脅かされたり、二つの心の葛藤に悩まされたり、そういうことも生き方を改変するためのよいチャンスになるわけだから、考え方次第では、よいものだともいえるでしょう。

ただ、こういうのは、場やその中の構成者、みんなにとってそうだったりするので、やっぱり、それぞれが自分の分を負うことを忘れると、ねえ…


まあ、何にせよ、ここで書いたように、無意識には無意識の大切な役割がありそうなので、無意識が伝えんとするところの意味みたいなものを読み解くことには、意味がありそうですね。

そして、それを生き方に還元できれば、無意識の方の動きも収まるのでしょう。

もう必要ないからと…









(続きは「人間というまとまり/コンプレックス」に…)





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