【城太郎日記】ユング心理学・カウンセリング



城太郎日記へようこそ♪
ここでは、読み物を書いています。
このページは、「善悪の彼岸」。

読み物


『善悪の彼岸』




<神なるもの、悪魔なるもの>

ちと宗教モードくさくなるかもしれません。



神なるもの、善なるもの、善きこと(善いとされていること)について書き出すと、

・創造
・安定
・適応
・心地好さ
・満足
・包み込む感じ、絆
・生かす、生きる

――とかですかね。(まあ、もっといろいろあると思いますが)



一方、悪魔なるもの、悪なるもの、悪しきこと(悪いとされていること)について書き出すと、

・破壊
・不安定(イライラとか)
・不適応
・不快感
・不満足(物足りなさ、渇き、飢え)
・切ること、切れること、離別
・殺す、死ぬ

――とかですか。(まあ、ざっくりですが)



まあ、パッと見た感じ、前者が良くて後者が悪そうですが、実際問題は、そうでもないようです。


・良いものを創造するのはいいですが、悪いものを創造されると困ります。
(良い悪いの分別は難しいにしても、です)
・良いものを破壊されるのは困りますが、悪いものは破壊してほしい気もします。
・創造ばかりでも溢れ(あふれ)かえって破綻するし、破壊ばかりでも破綻しそうです。

・良い状態に安定するとよさそうですが、そればかりでも進歩は望めません。
・悪い状態に安定すると、無限地獄になりかねません。
・過去良い状態だったものが悪いものになったり、過去悪い状態だったものが良いものとなることもあります。

・包み込まれると安心しますが、それも過ぎて、しがみつかれると身動き取れません。
(絆が強すぎて、前に進めない場合もあります。愛情が深すぎて、自立できないとか)
・関係が切れるのは寂しいですが、時には切ってでも、進まなければならない時もあります。

・生命において死ぬのは困りますが、象徴的に死ぬのは構わないような気もします。
(社会的に死ぬとか、今までの自分が死ぬとか)
・以前の自分が死んで、新しい自分に生まれ変わる――ってこともあります。
(象徴的に死なないと変われない――ってこともありそうです)


――このように、一概に、何が善で何が悪とは言えないようです。



世の物事には「二面性」(あるいは、多面性)があって、それはある場面では、善であったり悪であったりしますが、それも別の場面では、善悪がひっくり返ることも度々です。

というか、それが善であるとか悪であるとかいうより、その場面では、「それが表に出る」とか「その一面が強くなる」という感じですかね。

ある場面では表の面が強く出て、ある場面では裏の面が強く出るとか…

まあ、本質的には、両面を持つのだと思いますが。



ということで、安易に善悪に囚われると、その奥にある「本質」を見失うかもしれません。



<真に悪なるもの>

世の物事には「二面性」があって、それはある場面では、善であったり悪であったりして、また別の場面では、善悪がひっくり返ることも度々なわけですが、それを越えて、「真に悪なるもの」もあるような気がします。



・故意に、誤解に導くもの、
・自己都合で、相手や周囲を支配しよう(コントロールしよう)とするもの、
・上記のために、暗躍するもの、

もう少し具体的に言うと、
・実際はそうでないことを囁いて、混乱させる、
・あるいは、各パーツは真実であるにしても、それを作為的に組み立て、相手を操作する、
(ポイントを上げたり、下げたりする)
・またその根源が、自分の都合(時に、思想)だったりする、



これらの恐ろしいところは、当たり前に、我々の身近にあるということです。
(これにやられてしまった経験がある人も、多いのではないでしょうか)

これらは、我々の内にも、外にも、あるように思います。

あるときは被害者に、あるときは加害者になるかもしれません。
(あるいは、協力者として、加害者になるかもしれません)

そこが怖いところです。



ただ、何ごとにも赦される範囲と、そうでない範囲があるようです。

ともかく、こういう悪意に負けないように、内からの悪意にも、外からの悪意にも、支配されないようにしたいものです。

また、それを成すのに必要なのは、意志の強さであり、無意識とのいい関係であるのかもしれません。

また、ここで、上で述べた「自分の価値観を持つこと」や、それによって、「自分で見て、自分で考える」ことも大事になるでしょうか。

出来るならば、悪なるものに留まりたくないものです。
また、その支配やコントロールを受けたくないものです。


善悪なんて、簡単には語れないし、簡単には分別がつかないですが、それにしたって悪いこともあるわけで、特に、都合でコントロールするとか、一方的な価値観で支配するとか、そういうことをするのは避けたいし、また、抵抗すべきことであるように思います。
(まあ、それがすべてではないですが)
(「一時的なことか」、「永続的なことか」ってこともあります)



<変容とサナギ、メタモルフォーゼ>

誰かが新しく生まれ変わろうとする時、変容しようという時、それは、上で述べたような、「一般には、悪いとされていること」のカタチをとって現れる場合も多いのかもしれません。

それは、「破壊的なこと」として現れるかもしれないし、「不適応」として現れるかもしれません。あるいは、「関係を切ること」や「象徴的な死」(社会的に死ぬとか、死んだようになるとか、死ぬような深い悲しみに覆われるとか)として現れるかもしれません。

ともかく、そのような状態を通してでも、何かに変容しようとしている――と捉えることも出来ます。

そのような苦しみ、悲しみを通してでも、より良い何かに変容しようとしているのかもしれません。

(まあ、全部がそうとも言いませんが)



その時、周囲の人間が、それが一般には悪いことだから、とか、自分にとって善なるものである、「安定」や「適応」、「心地好さ」、「満足」を守るために、とか、そういう理由で、その人の変容を阻害したら、どうなるでしょうか?

その人が、葛藤を通して、新たな自分に生まれ変わろうとしているのに、一般論や自分にとっての善いことのために、その人の可能性を殺そうとすると、どうなるでしょうか?



といっても、安易に、「破壊的なこと」や「不安定」や「不適応」を賛美しているのではありません。誰にとっても、そんなことは避けたいものです。

また、安易に相手のすることを受け容れろ、というのでもありません。

しかし、それらを承知しながら、尚、変容しようとしている人に対して、いったい、どのように接するべきか?

――そういうことを考える必要は、あるのかもしれません。



変容といえば、蛹(サナギ)がイメージされます。幼虫は、まるで死んだかのような、蛹の状態を経て、成虫となり、空に羽ばたきます。

それに際し、蛹の状態が醜いからといって、それを阻害した場合、成虫にはなれないことも、考慮する必要があるかもしれません。

醜い蛹(サナギ)の状態を拒否することで、美しい蝶となって空を飛ぶことまで、拒否してしまうこともありそうです。

が、逆にいえば、今の、死んだような蛹の状態も、これから蝶となって羽ばたくための、通過儀礼なのかもしれません。



<みんなの変容>

「変容」ということを考えるなら、ひとりの変容(例えば、苦しんでいる人、問題があるとされている人、の変容)、その、ひとりの変容を通して、その人に関わる、皆が変容することが望ましいのかもしれません。(あるいは、望まれているのかもしれません)

まあ、無意識的な働きとして、ですね。



もっとも、その変容の過程で、葛藤や対決があって、当事者のみならず、関わる人にも負担がかかるわけですが、その中で、どうしても、その重荷に「偏り」が発生してしまう傾向があるようです。
(重荷がどこかに集中する場合もあるようです。酷なことですが)

特に、原因を特定しようとする場合、悪くすると、「〜のせい」ということになりかねません。(実際は、そうでないとしても、です)



こういうことを避けるための、ひとつのヒントとして、原因を特定することのみに躍起になったり、誰かを「〜させる」ことに躍起になったりするのではなく、その人が、「どうなっていくんだろう?」という事に、エネルギーを使ったほうが、建設的かもしれません。



逆に、原因を究明すること「のみ」にこだわると、エネルギーの無駄遣いになるかもしれませんし、誰か悪者を作って、責めるだけになるかもしれません。(自分を責めることも含めて、ですね)。あるいは、自分にとって善い方向に無理やり操作しようとすると、強い反発にあうかもしれません。

(もっとも、原因を探ること自体を否定するわけではなく、そこには意味があると思います。ただ、それ「のみ」では、何も変わらないかもしれませんし、それで終わってしまうのは悲しいことです)

だからこそ、「この人は、どうなっていくんだろう?」という気持ちで、その変容という仕事や課題に、付き合っていこうとすることが大事になるのだと思います。

そして、そうする事により、ひとりの変容を通して、皆が変容できるような気もします。ひとり一人が、成熟できるようにも思います。

そういう意味で、変容の中心人物は、皆が変容するための、「道しるべ」や「案内人」的な役割を担っているのかもしれません。
(これまた、辛いですけどね)


子供の問題を通して、夫婦が話し合ったり、向かい合うようになるとか、ひとりの問題を通して、家族のあり方を考えるようになるとか、そういうことは、よくあるようです。





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