【城太郎日記】ユング心理学・カウンセリング



城太郎日記へようこそ♪
ここでは、「認知の歪み」について紹介しています。
このページは、「感情的決めつけ」について。

認知の歪み

『感情的決めつけ(emotional reasoning)』




第7回 「感情的決めつけ」(emotional reasoning)


判断には、二つの判断があることを御存知でしょうか?

ひとつは思考による判断で、いわば、客観的な判断。あの行為は○○に分類され、よって△△だ、とか。あの人は○○をした、よって△△だ。そんな風に、事実をもとに分類されたり判断が下される。客観的な事実とは、それを見た人みんなが共有できるもの。みんなに分かる実際、です。(基本的に、ですが)

ただ、判断にはもう一つあって、感情や気分による判断もあります。感情による判断とは、好き・嫌い、快・不快、美しい・醜い、といったもの。これらも共有できますが、基本的にはその人のもの。各人が持つそれが同じになり共有感覚を味わうことはありますが、その根源は自分自身です。なので、自分の実際、ということになる。客観に対する、主観ですね。

例えば感情による判断では、大雑把にいえば、「好きなものは正義で、嫌いなものは悪」という風になります。そして、客観的な善悪と、感情的な善悪は、必ずしも一致しない。この不一致が、認知の歪みを生みます。


例えば、「あの人に冷たさを感じた」、これは感情による判断です。自分が感じた、のですから。そしてこの時、客観的な事実がこれと同じかは、不明です。実際、冷たくしたのかもしれないし、本当は違うのかもしれない。例えば、単に他のことに意識を集中させていただけかもしれません。

「あの人はわたしにイラついているようだ」。このような認識にしても、実際にイライラしているのかどうかはよく分からないし、イライラしているにしても誰にイライラしているのか、何にイライラしているのかは、不明です。それは相手の感情であって、自分の感情ではないのだから。

なのに、この認知の歪みを抱えていると、自分の感情による判断が、あたかも客観的にも正しいのだと、決めつけてしまうんですね。あるいは、自分の感じたものと相手の感情が、混同される。わたしがそう思ったのだから、きっと相手もそう思っているに違いない、となってしまいます。

さらに憂うつ感の中にいる場合、未来を決めつけたり、自分を必要以上に責めてしまうこともある。

「希望が持てない」→「だからこの先、希望なんてない」
「(理由はないけど)罪悪感がある」→「生きてること自体が罪なのだろう」


この矢印は、必ずしも整合性があるものではありません。気持ち的には現実でも、客観的に現実とは限らない。感情的決めつけでは、感情や気分が事実を証明する証拠であるかのように扱われます。そしてこの混同により、気分はさらに落ち込み、世界は暗いものとなってしまう。

また、虚無に苛(さいな)まれると、先に進むことができません。

「○○なんて、できっこない」「○○しても無駄だ」。このような考えに押されて、実際にすることを止めてしまいます。

確かに一遍には無理、でも、続けていれば結果は得られる。そんなことに対しても、やろうとしない。できなくなってしまいます。(できないのだから、罪はありません)

例えば、部屋の片づけだと、一度にやるのは無理かもしれません。でも、何度かに分ければ、可能なようです。また、ダイエットにしても、一遍には痩せませんが、続けていれば、それなりの結果が出るものです。

「できっこない」「無理だ」と、「(無理なのだから)実際にやらない」がタッグを組んで、強化されてしまう。


ここでは、気分と実際は必ずしも同じでないのだ、ということが忘れられています。気分は気分で感情として真実ですが、それはあくまで、自分の中でのことです。相手の感情や実際の布置となると、それはまた別。確かめてみないと分かりません。未来に関しては、確かめようもない。

また、認知の歪みには「結果を早急に求める」とか「ちょっとしたことで決めつける」傾向があるので、なおややこしいです。検証するとか、実際に続けてみるとかいったものが、欠けてしまう。そして、それにより、成功の体験が少なくなり、無理だ思考に陥りやすい。(本当は試してないだけなのですが)

要するに、これは、究極の早合点でもあるのです。

よく見たり聞いたりする前に、勝手に決めつけ、思い込む。また、やる前から諦める。その癖が主に否定的な方向で使われ、自分を落ち込ませてしまいます。そんな癖や習慣。

ということは、何とかする方法も、あることになります。

我々はよく、気分そのものを何とかしようとしますが、それは意識でどうこうできるものではないようです。多少はコントロールできますが、完全にコントロールすることはできないし、また、する必要もない。

治すべきは認知の方法や癖、習慣で、感情はむしろ、その歪みによって引き起こされているもの。

なので、認知の歪みが解消されれば、おのずと感情も変わります。

というわけで、希望はあるようですよ。






<<「誇大視・拡大解釈と過小評価」に戻る

「すべき思考」に進む >>







ページの先頭に戻る





SINCE 2004.11.16

 RSSリーダーで購読する

 メールで購読する


最新の記事が分かります。

自信をもてないあなたへ―自分でできる認知行動療法

うつ病の人の気持ちがわかる本 (こころライブラリーイラスト版)

(017)母という病 (ポプラ新書)

愛着障害 子ども時代を引きずる人々 (光文社新書)

最近のブログ更新記事。

河合隼雄文庫


枕石漱流 日記(ユング心理学の視点から)

サブメニュー

TOPページに戻る

web拍手 by FC2   ランキングに参加してみました

 







2010年11月13日:作成
2015年01月23日:テンプレート変更



Copyright (C) 2004〜 南方城太郎、城太郎日記 All rights reserved.

壁をブチ破れ、さすれば能力は格段に跳ね上がる!!




ブログパーツ アクセスランキング